AHC022 参加記

はじめに

こんにちは、この記事は、先日行われた RECRUIT 日本橋ハーフマラソン 2023夏(AtCoder Heuristic Contest 022) に参加した際に考えたこと、解法の解説などをまとめた記事になります。どちらかというと、なんでそういう発想になったのか、という参加者視点の話が多い、解説というよりは参加記風の記事となります。

まず結果から言うと、総合10位と僕にしては大健闘で、ヒューリスティック入橙しました!

ヤッタゼ

 

使用言語はPythonです*1。長期ヒューリスティックでは探査量などが点数に直結することが多いので、より高速なRustを使うことが多いのですが、今回はよさげなPythonによるサンプルコードが提供されていたことや、とりあえず探査ゲーではなさそうな雰囲気を感じたことから、より書きやすいPythonで書きました*2

時系列順に考えたことや試した解法などを書いていきます

 

序盤(初日、二日目)

開始前

まず時差が8時間ありますので*3、日本時間金曜昼12時始まったこのコンテストは、午前4時にスタートしました。当然起きているはずもなく、始業スレスレに起き、ドタバタする*4という朝のルーチンをキめました。午後に、金曜というのもあり早めに業務が終わり、そういえば今日始まったAHCの問題でも見るか~と開いた瞬間が僕のAHC022の始まりです*5

問題文を読んだ第一感が、「あ、これ僕が好きなタイプの問題だ!」でした。特にビジュアライザの正誤判定の部分やランダムに加えられるノイズなどから、HACK TO THE FUTURE 2023 予選(AtCoder Heuristic Contest 016) - AtCoder と同じ系統の問題*6なのでは?と感じ、AHC016でAHC長期コンとしては過去最高順位*7を半年前に取っていた身としてはかなり興味をそそられました。ただし、その次の一週間若干プライベートが忙しいことが決まっていたため十分な時間が取れる自信がなく、ふと上司に、「なんか今日始まった競プロのコンテストの問題がめっちゃ面白そうなんですよね、来週ちょっと有給取るかもしれないです」と言ったら、「おーいいね、がんばれ!ちなみに今回はどういう問題なの?」とOKしてくれました*8

FirstSub

無事プレイ時間を確保できた僕は、まずベイズ推定パートに取り掛かりました。とは言っても僕は数学科卒ではありますが統計は専門外で、お気持ちベイズしかできません。が、各inを独立として考える場合は直感的な遷移*9で事足りるのは分かったので、とりあえずそれを実装しました。Python normal distribution CDF*10で検索すると、numpyやscipyを使う例しか出てこなかったので、とりあえずscipyのnorm関数を使いました*11。各inを順番に調べていき、あるoutである確率が0.99を超えたらそれを答えとして、それ以降のinでのそのoutである確率は0でスタートする、ただしS>200だったらこれだと10000ターン以内に間に合わないので確率0.5以上でOKとする(あきらめ半分)をしました

最初の解のコード。サンプルコードをベースにしてるのでまだ比較的綺麗

とりあえず投げたかったので、温度設定*12やロボットの動かし方*13はかなり適当にやりましたが、この時点で小さなSの場合結構いい確率で完答できることが分かり、とりあえず推定パートが作動していることは確認できました。

FirstSubvsシード0。S=36なので、こんなに適当でも正解できる

Sが大きい時はほぼ全滅という具合でしたが、とりあえず提出してみると53位とまずまずな感じでした。

Sub 2 - Sub5

熱中してやってたため、ふと気づいたら終業時間をすぎていたので*14、そそくさと帰宅して食べ物を注文し、続行しました。まず、温度配置を本来やりたかった形にし、

2サブ目。隣どうしを判別するための境界線が欲しかったので、真ん中の線は寒くしている

次にロボットの動かす先を工夫したくて、各Inにつき、一番確率が高いOut二つを一番区別できる=そこから動かしたときにたどり着く2部屋の間の温度差が一番激しい動かし方が、一番良いと考えました。が、各ターンごとにL^2通りすべてのロボットの動かし方を試す方法を実装して提出すると、TLEとなりました。ここでpypyに乗り移る必要性を感じ、どうにかして正規分布のCDFをNumpy,Scipyなしで計算する方法がないか調べた結果、mathライブラリにerf関数があることを知り、それを使って正規分布のCDFを手作りしました。

また、各アウトのペアにつき温度が決まった時点で上の最善の動きができることから、前計算でいいじゃん、となり前計算にしたところ2000msで間に合うようになりました。

5サブ目(AC3回目)。各outの対につき、そのOut二つから出たロボットが計測する2つの部屋の気温の差が激しくなるようなロボットの動かし方を前計算しておく。

このころの順位は覚えてないですが、たしか20位台後半とかじゃなかったかな

Sub 7~

この「ペアの行き先の温度差を最大化する」、という考えの延長線上で、「そもそもすべてのペアの行き先の温度差がめっちゃデカいような動かし方があることが保証された温度配置にしたいな」と考えたところ*15、L/2正方形の暑いエリアがあったらどの二つのoutでも片方が暑いエリア、もう片方が寒いエリアになるように移動できるな、と気づきました。

Sub 7 Seed0。左上が暑くてそれ以外寒い。温度はSによって変える

これをテストしてみると点数が一気に数倍に伸び、興奮して提出したところ一気に2位になりました

今年の目標だと思っていたAHC入橙がいきなり近づき入橙ラインを強く意識するようになりました。

音楽を聴きながら実装してたんですが、ちょうどその日にGYARIさんが3年ぶりにボカロ・ボイロ新曲を出してて、めっちゃノリノリにずんだしながら実装してました。(4) ずんだもん「チャンネル登録よろしくお願いします」 - YouTube。単純な性格をしているので、このだいぶ嬉しい時間にめっちゃ聞いた曲ということで僕の中でだいぶ好きな曲というか動画になりました。*16

ここらへんでテストを一個一個手動で回すのがめんどくさくなったので、テストのコマンドを実行して結果を集める雑スクリプトを書きました。

雑スクリプト。点数集計+MeasurementとPlacementのスコアの割合、別の解との比較などができる

実はAHC016の反省からクラウド実行環境をAzure上に作っておいてはいたのですが、Azure Container Instancesの制約や使えるクレジットの上限の低さ*17から、あまり使いたい気分になれず結局一回も使わず終わりました。ローカルでシングルスレッドで回してたのですが、せめてローカルでマルチスレッドできるようになったらもうちょっといいのかも?次までに調べておきます。

ここから数サブミットはパラメータ調整をしました。さっきまであきらめていたS>200なども太刀打ちできるようになっていたので諦めモードの範囲や挙動などを変え、また止める精度も0.99から0.999に変えたりしました。本来序盤でパラメータ調整をするのはあまり良くないのですが、目の前の一位を取りに行ってしまいました。まあ、なんというか、心理戦(?)を仕掛けにいったというわけです(?)。無事、一位に躍り出ることに成功しました。

最後に、ロボットの動かし方の前計算で、同じ差の動かし方の中だと一番距離が短い動かし方を選ぶようにするとスコアがグーンと上り相対スコア45B(90%)に達しました。この温度がとる値が二つしかない温度配置だと、効果的な改善だったのかなと思います

過去の経験から、こっから一気に抜かれるんだよな~と思いながら寝ました。

Sub13~

起きたら抜かされるというのが、今までの常だったため、起きたときまだ抜かされてなくてびっくりしました*18

「すべてのペアの行き先の温度差がめっちゃデカいような動かし方があることが保証された温度配置にしたいな」というとっかかりを得てこの考え方の一定の正しさを確信した僕は、もっと低Placementコストでこの条件を達成できないかを考えました。よくよく考えると、左上と右下の正方形さえあれば、すべてのoutペアの移動先が存在することに気づきました*19。残りのエリアは手作りで傾斜になるようにして*20、提出したところ点数が20%ほど伸びました。

Sub14 Seed0。右上と左下は手作り

Sub15Seed0。縦横並び用の赤マスは1マスで足りることに気づき、配置コストをさらに下げる。

手作りで緩衝材を作るのではまだまだ無駄があると感じたのですが、配置コストを最小化する厳密解が求まるかを考えたところ、ややこしすぎる+境界条件に影響を受けすぎて頭が爆発したので、†コンピューターのパワー†を使ってどうにかできないか考えました。

最適解は自明に存在するので最適だった場合のことを考えると、各マスにつきその周りとのコストを最小限にするようになるはずなので、隣のマスΣ(Xの隣のマスの温度-Xの温度)^2を微分すると、最適が周りのマスの平均であるときだということが分かります。ということで欲しいのは各マスにつきそのマスの温度が周りのマスの平均になる分布に持っていく方法ですが、ここで、温度を確率として捉えるとグリッド上のランダムウォークのStationary Distributionの式を満たすことが分かります。高温・赤固定マスからは確率1で動き、低温・白固定マスには吸収される境界条件を持ったランダムウォークは、Recurrentであることが知られており、かつδMixingTimeがO(log(頂点数))なので*21、「各マスごとに周りの平均を取る*22」というのをすべてのマスにlogL*logT回ずつやるだけでほしい分布に収束することが分かりました*23。これを実装すると、予想通りお気持ち緩衝材より効率的に配置コストを削減でき、スコアが数パーセント伸びました

Sub 16 seed 0。配置コストがさらに下がってる

なんか大学で学んだことをちょっと使った気がして嬉しくなりながら、もう少し考えを進めてみると、そもそも一辺L/2の正方形まるまるなくても、「すべてのペアの行き先が赤白になるような動かし方があること」は満たせることに気づきました。具体的には、片方L/4L/2の長方形でいいし、

Sub17Seed0。点数はなんか落ちてますが。。。

さらによくよく場合分けしながら考えると、両方長方形でも成り立つことが分かりました。*24

Sub18Seed0。実はこれでもすべての点のペアが片方赤片方白になるようにできる。

配置コストをかなり下げた結果、観測コストとのバランスが崩れ、調整して点数を上げるためにまたパラメータチューニングをしました*25。Shun_PIさんと一位と二位で抜いたり*26抜かれたり*27抜きなおしたり*28と非常に忙楽しい週末を過ごしました。日本在住勢と生活リズムがずれている分、ターン制バトルみを感じれて面白かったです。

中盤(3日目~8日目)

中盤(平日)では、大枠がすでに決まってしまったコードに小技を詰め込みまくるゲームをしていました。大きく引き離されることがなかったため、大枠から考え直す理由が特になく、周りの上位も同じようなゲームをしている可能性が高いと思っていました。また、一位を目指すなら独創的なことをしないといけないと思いますが、入橙がとにかく一番大事だったので、より安全に地道に点数を伸ばしていく作戦を取りました。

この期間に入れた小技を分野別に分けて紹介します。

配置

Sがかなり小さい時は、x=0y=0でほぼ判断できるようにすることによってできないかと考えました。具体的には、各outの温度が離れていると、そもそもロボットを動かさずにかなりの精度で判別ができます。温度のコストを最小限にするために、一番外に近いOutマスからi番目のOutマスについて、温度をi*Sに固定し、残りは最小になるように動かす、をしました。

結果的に、S<=9の時はこのような配置をするようにしました。手元で動かした際、S<=9において数十%の得点増になっていたし、最終的なスコアでもS=1とS=4においてはスコアが全体2位だったらしいので、この配置がかなり良かったんじゃないかなと思います。

最終提出Seed10(S=1)。かなりなだらかな傾斜だが、各Outにつき差は少なくとも1ある(ほとんどの場合それ以上)になっているためすごく低コストに観測できる

S>=9以上の時は、まず赤のマスと白のマスを完全に同じ熱さにするのは効率が悪いと考えました。というのも、ペナルティーは温度の傾斜の二乗に比例するので、赤長方形と白長方形が全部同じ熱さである状態から、そのなかですごくゆるい傾斜がついている状態にすることは実質無料なのですが、少しつけることにより赤長方形内にあるOutマス2つをより低コストで判別できるようにできるからです。ただし白長方形と赤長方形が角で接する点での激しい傾斜は保たないといけないので、赤長方形と白長方形の温度も、周りとの平均を取る、ただし赤長方形に入っていたらX以上、白長方形に入っていたらY以下になるように強制する、という遷移を取り、温度が固定の「めっちゃ赤いマス」「めっちゃ白いマス」を一個ずつ指定し、そこから傾斜を最小コストになるようにつけることでスコアを1%ほどのばしました。

また、SとLの組み合わせにより、赤マスと白マスが角で接してる、という状態がなくてもかなり効率的に判別できる場合がありました。この接してる角マスを強制X以上・Y以下から取り除くことにより配置コストはかなり下がるので、パラメータをいろいろ変えながら実験して一部のパラメータでは赤と白の間に一行緩衝材を開ける、などをしました。

また、トーラス状の世界で初期配置を「左上」「右下」に固定するのは特に意味を持たないので、一番温度差が激しい赤と白の境界地点により多くのOutマスが来るように初期温度ずらしました。これも1%ぐらい伸びた気がします。

最終提出Seed0うっすらと平行移動した赤い長方形と白い長方形が見え、はっきりとめっちゃ赤いマスめっちゃ白いマスが見える。

Inの選択

各Inを独立としてみる作戦は非効率と考え、各Inが各Outである確率を全部書いた表をもって遷移するようになりました。ただし、ベイズ論をちゃんと勉強したことがないことが災いし、条件付き確率があまりにも複雑と思い、かなり雑な遷移を最終的に採用しました。

雑な遷移。正規化する方向とか工夫できていないし、そもそも確率ではなくなっている(各行の和が1にならない)

本当は、「InA1がOutB1に行き、InA2がOutB2に行く確率」などをもって遷移したかったのですが、計算量が爆発し、また上の正規化を縦横何回か繰り返すとかもやってみたのですがなぜかスコアが落ちたので採用しませんでした。

ロボットの動かし方

「Out2つにつきどこに行きたいか前計算しておく」という基本戦術は結局変わりませんでしたが、一番確率が高いOut2つが一番いいと思ってるものを毎回採用するのはあまり効率が良くないと考え、各ペアにつき、ほぼ一番いい動かし方(一番いい動かし方の1.2分の1以上)のリストを全部持って置き、さらに一番確率の高いOutのペアではなく、一番高いOut1と、2番目以降のすべてのOut2のそれぞれのペアにつき、票数をOut2の確率で重みづけした投票制にしました。これにより二つだけ判別するのではなく一気に複数のOutの可能性を判別していく形になり、数パーセントスコアが伸びました

投票パートのコード

各Outペアについてのロボットの動きを評価するにあたり、だいたいlog(正規分布のPDF)=温度差^2ぐらいの嬉しさがある*29気がするので、温度差^2/測定コストで評価してましたが、ふと温度差^1.5/コストにすると点が伸びたのでそちらを採用しました。なんでそっちの方がよかったのかは謎です。

打ち切るタイミング

各Inごとに順番にやるわけではなく、確率の表全体をもって遷移するようになったので、打ち切るタイミングも工夫できるようになりました。特に、間違えるとしたら基本的に二つをスワップする間違え方をする、ということに着目し、「スワップできる確率が十分低ければOK」ということにしました。

具体的には、まず各行の最大確率が0.9以上になるまで、最大確率が一番低いInを選んで回します。そして、各行のペアにつき、最大が逆になる確率が十分あったら(in1の最大がout1でin2の最大がout2の場合、p[in1][out2],p[in2][out1]が両方十分に大きければ)、そのInを選んで続行、すべてのInのペアで逆になる確率が十分小さかったら打ち切り、としました*30

仕事の合間もAHC、仕事から帰ったらAHCという具合に微改善をたくさん積み重ねていった結果、最後の週末前でまだ3、4位、さらに1位と数%差、という僕としては非常に良いポジションにつけることができました。

終盤(8~10日目)

終盤にJirotechさんが一気にスコアにして10,20%飛びぬけました。

 

過去数日間1位から1,2%差で争ってた自分はすっかり、みんな同じゲームをしていると思っており、1%でも伸ばす微改善、パラメータチューニングをやっていたので、かなりびっくりしました。しかし時すでに遅し、ここから大きな方向転換をするわけにもいかず、最後の数日はパラメータチューニングをぶん回していました。特に、打ち切りのタイミングをどこにするかはかなり非自明でスコアに大きく響くわりに試行回数が大量に必要なので*31、夜回しっぱなしにして寝る、などをして調整しました。最終日となると皆さんが鬼のように追い上げてきて、かなり怖い思いをしながらせっせとテストを回して数字をちょっと変える、を繰り返しました。有給まで取って、ここで入橙を逃したらかなり後悔する、という気持ちもあり、最後に暫定8位になりほぼ入橙確実になった時は、とにかくほっとした気持ちが一番強かったです。

終了後

もし日本在住だったら、10位以内に入るかで入賞*32が決まるので、かなりドキドキだったと思うのですが、僕はいずれにせよ賞金対象じゃないため割と気楽にいれました*33。皆さんの解法を見て、ベイズ推定パートを除きかなり別ゲーをしていたことにかなり驚きました。特に一点だけ熱くする、という手法をJirotechさん含みかなりたくさんの方がやってて、L/4長方形作戦がほかに一人も見つからなかったのはかなり驚きました*34

クラウド実行を活かせなかった点や、大枠を早めに決めてしまい柔軟に変えていけなかった点*35、実行時間のテストが甘くてシステスで5,6ケース実質TLE*36してた点など反省点は多いですが、問題が非常に面白く、大変楽しいコンテストでした*37。ありがとうございます!

表彰式のグッズも一万円もほしかったし、懇親会に行っていろいろな方のお話をすごく聞きたかったですが、またそういう機会があるように、今後とも頑張っていきたい所存です。

 

*1:新ジャッジ移行前なので、PyPyを選択

*2:まあ必要そうだったらあとでRustに翻訳すればいいか~という気持ちで

*3:当方英国在住勢のため

*4:そして余裕で遅刻

*5:弊社では業務時間の5%を「自己研鑽的ななにか」に使うことが認められていて、競プロもOKということになってます

*6:ベイズ推定チック

*7:13位

*8:前述のAHC016に関するLT Xユーザーのゆうっうっう🛸@ 多次元配列は一次元に直すさん: 「AHC016プレゼンのスライド(上司の許可は取ってます) https://t.co/5643efEHDM」 / X (twitter.com)  などを会社でやっていたのもあり、チームメンバーや上司にはある程度理解してもらえていることに感謝

*9:Xを観測した場合、各outYにつき、X-0.5からX+0.5になる確率を求め(ただし0や1000を観測した場合0.5以下を観測する、999.5以上を観測する確率を求め)、outがYである確率にそれをかけて、確率の和が1になるように正規化する。ここら辺は最終的には上位勢はほとんどみんなやっていたと思いますので詳細は割愛

*10:Cumulative Distribution Function=確率変数Xがx以下を取る確率の関数

*11:ジャッジ更新前なので、Pypyでは使えず、とりあえずバニラのPythonで提出しました

*12:真ん中を熱くしてなだらかに外を涼しくする、というのをやりたかったけど、サンプルコードに引っ張られて出口のある温度だけしか設定してない

*13:XとYを順番に1ずつ増やしていく

*14:これで遅刻とチャラ

*15:上の真ん中に近づくと熱い+十字の白だと近いoutのペアは判別しやすいんですが、遠いoutのペアの間に大きな温度差を作ることができません

*16:海物語でLuckyとかST中の曲が好きになるのと同じやつ。通常時テーマも好きだけど

*17:2日ぐらい持ったまま放置しておくと一か月の無料枠の150ポンド分全部使い切られちゃう。。。

*18:お盆休み最初の土曜日の日中ということで、帰省とかで忙しかったのかな

*19:左上右下という関係の場合そのままだし、右上左下という関係の場合盤面の右上の右にある赤マスと盤面内にある白マスを使えばいいので

*20:残りのマスは判別に基本的に使わないので、とにかく配置が安いようにすればいいため

*21:ここら辺ちょっと僕の知識があやふやですが

*22:Transition Matrixを一回かける

*23:物理に詳しい人達はポワソン方程式がなんとか、みたいなことを言ってたので、専門によってはそちらの方がしっくりくるかも?多分連続か分散かという違いで実質同じ考え方

*24:お気持ち手動緩衝材だとこの配置を変えた時にいちいち書き直さないといけなくなっていたと思うので、この時点で自動化できていてよかったです。

*25:こいつの序盤パラメータ調整フェーズ多すぎじゃないか?

*26:

ゆうっうっう🛸@ 多次元配列は一次元に直す on X: "一位ギリ奪還!ふおーーーーーー₍₍ ◝( ˘ω˘ )◟ ⁾⁾ https://t.co/joRxKT4ORd" / X

*27:

ゆうっうっう🛸@ 多次元配列は一次元に直す on X: "https://t.co/S0H5HGDheL" / X

*28:

ゆうっうっう🛸@ 多次元配列は一次元に直す on X: "やったぜ(満身創痍) https://t.co/Q4WymaqD59" / X

*29:エントロピーというそうです。そういえばそういう概念あったかも。。。

*30:Sによりますが0.002程度が実権を回したところ一番スコアの期待値的によさそうでした

*31:誤答する確率を知る必要があるため

*32:1万円もらえる

*33:入橙は絶対にしたかったのですが、ボーダーが20位ぐらいになることが分かったので、まあまず大丈夫でした

*34:長方形作戦は長方形作戦で、すごいと言ってくれる方が多くてうれしかったです

*35:序盤最上位だったこともあり、正しい大枠を使っているという自信がありすぎました

*36:プレテストだと4秒中3000msで終わってたのに。。。

*37:色変したんだし楽しいに決まってる

「僕は日本人です」とは 大学+その後編

この記事は「僕は日本人です」とは 中高編 - yuusanlondon’s blog (hatenablog.com) の続きとして書いてる。

この記事でこのシリーズは24歳現状最後になる予定だが、前2記事に対して面白かったという声を多く頂き、非常にうれしかった。ラスト6年について一気に書いていく。*1

大学+院生(18歳ー22歳)

中高パートと同じように、そもそも大学・院の定義からむずい。イギリスの大学は学部は3年で卒業でき、修士は1年で取得できるのだが、弊学数学科含み多くの大学・学科では修士までやる人は学部は厳密には卒業せずに、そのまま4年目をやり、そこで卒業して、学士修士両方もらう、というやり方を取っているためだ*2。僕の最終的な学位も"BA & MMath"なのだが、これは"BA"と"MMath"という二つの学位ではなくて、"BA &(<これは特に意味を持たない単なる&記号です笑)MMath"という一つの学位らしい*3。まあ、修士に入ってなんかすごく変わった点などはなかったので、一つのパートとして書いていく。*4

大学では、特に数学科生が多い寮に入った(40人*5以上)。一クラス分ぐらいいることになるので、一番つるむのはほとんど弊寮数学科の人になった。もともと合宿の人たちとつるむのが好きだった自分は、各学期が短いこと*6、全寮制だったこと、元合宿参加者の顔ぶれが多かったこと、出される宿題がクソ難しいこと*7などから、各学期を合宿としてとらえることができ、非常に楽しめた。

合宿と違う点と言えば、留学生の多さだった。特に、韓国人ABCたちやスウェーデン人Wなどとかなり仲良くなった。自分の学年では弊寮全教科で日本人は僕一人だったのに対し、韓国人は認識してるだけで5人いて*8、かつ日本オタク度高めでオタクトークの相手に最適だった。この留学生たちとも仲良くさせてもらったし、元イギリス数オリ勢の端くれとしてイギリス勢の集まりにも準レギュラーとして呼ばれ、弊寮数学科という広いのか狭いのかよくわからない*9世界での交流をかなり楽しんだ。日本からの留学生の少なさに悲しみを覚えた僕は、日本の高校生に短期留学に来てもらい、大学での長期留学を進めるプログラムなどでボランティアしたりした*10

弊学全体の日本人で言うと、もう少し複雑だった。まず、日英会という、日本人*11率が50%弱で、日本文化発信や関連イベントを開催していたサークルっぽい組織があった。ここでは、唯一同学年の数学科で僕以外で*12日本人だった、日英ハーフのLさんとよく話すようになり、時折夕飯を一緒に食べるようになった。彼女は日本国籍は持っておらず、日本に住んだことはなく、日本語もほとんど話せず*13、日本人だという自覚はあるか聞くと、「うーん、少しだけ?」という感じだった。だが、日本式の炊飯器を持ち込み自炊してたし、誕生日会では日本式カツカレーをふるまっていたし、日英会のイベントにも大体出ていた。一度日本人のお母さんにお会いしたことがあるのだが、Lの食生活はこの方から来ているのか、と思うとなんかよくわからないけど納得した*14

日英会の内部には、非公式に日本人*15がおよそ95%ぐらいの集まりがあった。この集まりに呼ばれる条件は日本語が普通に話せることで、会話は基本的に日本語で行われた。僕が入学したころは、この会は二年上の、これまた数学科のこれまた日英ハーフの先輩が仕切っていた*16。ただ、日本に住んだことはないはずなのだが、日本語は普通にしゃべってたし、静岡に住むおばあちゃんの話をよくしてたし、自認は「日本人だしイギリス人だし日英ハーフだよ*17」と言っていたし、パスポートは日本もイギリスも両方持っていた。制度上日本の国籍を持っていると大人になるまで*18に選択しないといけないのだが、本人は「まあ、それは努力義務だからね!」と言い放った*19*20この先輩とLさんとの対比はかなり印象に残った。

さらに、この中で僕の学年で自認が100%日本人な人が(少なくとも)6人いた。このうち3人は各国滞在のち高校は日本のインターを出ており、2人は幼少期からイギリスで、1人は生まれからイギリスという具合で、この6人でよく遊んだ。そのうち一人と付き合ったりした*21。ほぼ同時期に6人の中でもう一カップルできて、ダブルデートに行ったりもした。*22*23。6人の中から2対もできたことから、お互い相手が日本人であることは相当な重みをもっていたと思って間違いなさそうな大学生の恋愛事情だった*24

このように、ますます多様な日本人の在り方、「日本人さ」の幅を目の当たりにした僕は、より日本人であるためには、日本の歴史、文化、サブカルにより詳しくなり、とりわけ文化、サブカルにおいては布教をすることだと考え邁進した。アニメを見て布教し*25、ボカロ曲を聴き始め布教し*26、弊寮日本麻雀+将棋ソサエティーを立ち上げ秘書になり*27*28、ちょうど流行りだしたVTuberの配信を見て*29、ハイパージャパンというロンドンの日本サブカルイベントで設営・運営バイトをした*30

ある春休み、前述のスウェーデン人Wを訪ね、ストックホルムに韓国人Aと旅行に行った。Wの実家は、ストックホルム中心部からフェリーで20分ほどの離島の、さらに奥の方にあった。その京都から非常に遠い家には、SNES*31、GC*32、Wii、WiiU、Switchがあり、僕はWがぷよぷよとワリオの森が異常に強い理由を察すると同時に、こんなところにまでハードが届く任天堂のリーチの広さに感銘を受けた。

本業である勉強はというと、難しいながらも、合宿気分がだいぶ抜けなかった自分にはすごく楽しかった。イギリスの大学は原則単科なので、数学さえやっていればよく、さらに数学科同士での会話でも問題の話がしょっちゅうだった。また、二対一の授業も多くあり、数学の知識もセンスも莫大な教官達の時間をかなり割いてもらうことには非常に大きな価値も感じた。が、周りとの実力差は歴然*33で、僕は院進することはできてもD進は難しい、できたとしてもその後のポストは絶対に見つからないと考えるようになった*34

その結果、学部二年目の終わりの夏にインターンに行くことにした*35。「未歓迎勧誘!」を売りに、弊学数学科から多く採用していたIT企業のインターンに行き*36。このインターンでは、未歓迎勧誘に嘘はなく、コンピューター経験ほぼゼロだった僕に、ターミナルとは何か、cd、lsなどなどから教えてくれ、コーディング経験ほぼゼロの僕でもエスパーしてコピペコードでどうにか間に合わせることができた。会社の雰囲気はイギリスでも緩い方で、数学科卒が多いことから社員の気質も似ており、仕事は最終プロダクトにはそんなに興味なかったが、日ごろの業務自体は非常に難しく面白かった。2年目の大学の成績が芳しくなく、いよいよD進の目が少なくなっていた僕は僕にしては真面目にインターンに取り組み、結果内定をもらった*37。できたら院進するつもりであることを伝えると、その次の年にもう一年インターンをすることを条件に内定も延長していいとのことだった。まあそんな感じでうっすらエンジニアになるのかな~という気持ちを持ちながら学部最終学年に突入した。

2019年冬、学部最終学年(3年)に突入し、とりあえず院には進まないと、と思い勉強をまじめにした。が、数か月後コロナが流行して大学がリモート制になった*38。本来院進を決めるはずだった学部卒業*39試験もキャンセルされ、なんか2年目までの成績でギリギリ院進が認められた。実家に追い返され、暇を感じていたころに、2020年4月ごろ、W氏から競プロを勧められた*40。エンジニアになる可能性が高そうな中、コーディング経験は引き続き実質ゼロみたいな感じだった自分にはもってこいだと感じ参加してみた*41。Wはなんか競プロが強い(AtCoder赤)らしいという話は前から知っていたが、いざ始めてみると、このAtCoder赤というのは本当に強いということが実感できた*42*43。開始直後にツイッターアカウントを作り、コロナの影響でちょうど同じ時期に始めた人が多かったのもあり、界隈での交流もありがたいことに非常に楽しくできた*44。また、日本の平均的かそれ以上な理系学生ともある程度やりあえてるな、という実感は、この期に及んでまだぬぐい切れてなかった「日本だと数理系センス平均未満かもしれない。。。」という最後の疑念を晴らしてくれて自信につながった。今でも週末競プロerにはなってしまったものの、TLのおかげさまで引き続き楽しく参加させていただいている。

そろそろ本格的に就職をどうするか考えないといけなくなった僕は、腕試し半分で日本の会社を一社だけ受けてみた。興味のある業界の企業で、ロンドンキャリアフォーラムという日本企業*45がたくさん採用に来る会*46に出ていたので、海外大卒の人を欲してそうな雰囲気を感じた。もともと最終製品に興味があったのもあり無事面接*47を突破でき内定をもらった。独身寮がある会社で、問題なく日本で生活できそうではあった。

夏は去年と同じ会社で今度はリモートでインターンをやり、約束通り内定が延長された。ちょうど同時期に、内定先の企業が買収され、そのまま内定が買収元の内定に変身した。買収されたのちも、数年のうちはとくに大きな異動もなさそうで、非常に良かったあの社風もしばらくは継続しそうだと感じた。この時点で、イギリスで就職するならそのままここに行きたいと考えた*48

ここで、人生で初めて完全に僕個人の責任となる*49、進路の選択が生じた。かなり苦心した。かなりたくさん要素があるので並べていく。

まず圧倒的に一番大きな要素が、「日本の企業に就職すると晴れて日本に帰国できる」、という点だった。さらに正確に言うと、「日本に帰って就職して普通に生活できる手口があるのに、それを棄てる、ということは許されるのか?」という自問だった。いままではかろうじて、いや、日本人だけど親の都合でこっちに住む感じになっちゃってさ~が許されていたが*50、今後は当然それが許されない。日本人として、帰る機会を自ら放棄するということに対しては人生で一番大きな罪悪感を感じた*51。もちろん、日本に帰るとご飯がおいしいとかそういうポジティブな面もあった。

だいぶ差が開いて、次に大きな要素は、「今更日本の企業でやっていける自信がない」だった。まず小学五年生から国語も社会の授業も受けてない僕は、礼儀がなってないし常識にかけている部分も多いだろう。さらに、一般的に日本企業の方が全体的に厳しい傾向があると聞く。10年間以上ぬるま湯につかったままだった僕はいきなり大やけどを負うリスクが高いと考えた。そして、パスポートが日本である以上、いつでも日本には帰れるが、やけどしたからと言って英国に戻るのは容易じゃない可能性があった*52

さらに、「インターンで行った企業の社風は知っており、さらにほぼ最高だったが、日本の会社の社風に合うかは完全に未知数」という点があった。インターンとかいう払う給料分の働きは到底見込めない慈善事業をやる、企業側の理由が分かった。いざ就活生になると、社風を中から知っていることに関する安心感は非常に大きかった。インターン業務自体も面白かったのだが、日本の会社の方は総合職で、面白いと感じるか未知数だった*53

そこから比較的小さめな理由として、友人はほとんど全員イギリスにいること*54、待遇はイギリスの方がいいこと*55、相談したところ親も友達も全員イギリスでの就職を勧めたことなどがあった*56

こんなわけで、圧倒的に大きな「日本に帰国できる」という一つ利点以外どう考えても残った方がいいという感じだったが、それでも心の中ではだいぶ拮抗していて保留し続け、家族にもしびれを切らされていた。最終的な決め手になったのは、「買収元の企業には日本支社がある。数年後日本へ帰国するときに、社内異動という可能性がある」という気づきだった。とりあえずインターン先(の買収元)に就職しておいて、数年で転職なり社内異動なりで帰国、というプランに現実味を感じた僕は、イギリスでの就職を決断した。*57これに関してはかなりの責任と罪悪感を感じているが、正しかったかどうかは24歳現在ではまだわからない。

そういうわけでソフトウェアエンジニア(開発職)としての就職が決まった僕は、数学と同じぐらい競プロをやりながら修士の一年間を過ごした。D進するために数学の勉強を増やす人も多い中、ますます実力の差が開いたが、どうにか卒業にこぎつけた*58

なお、上記の僕を除いた5人の日本人の内、3人は日本に帰って就職し*59、1人は消息を知らず、最後の一人はイギリスで就職した*60

その後(22歳ー24歳現在)

社会人となった僕は、弊寮数学科同期のイギリス人*2と同居を始めた*61。競プロerとの交流も増え、定時退社後はツイッタースペースやディスコードでだべるのが日常になった。夏に一時帰国した際などは、たくさんの方に会っていただき、非常に楽しく過ごさせていただいた*62

一記事に一回登場するきまりらしいX君にもまた会った。彼は大学生序盤の頃は、アジアの方や世界で仕事がしたいと言っており、シンガポール就職などを考えているようだった。がイギリスで彼女ができ、離れることは難しいのでイギリスで就職先を探すことにしたらしい。もし僕もイギリスで彼女が出来たら帰りづらくなるのか、だいぶ嫌だな、などぼんやり考えたりした。

会社はというと、期待を裏切らず、「日本じゃない」ということ以外すべてにおいて最善だ*63。今のところ買収により社風もといオフィス風がそこまで変わったということはなく、インターンの時には僕にcdやlsを教えてくれた元メンター*64とポーカーやチェスや将棋や象棋をしたりしている。

日本支社の同期が全世界のチャンネルに投稿しているのを見つけたので、声をかけ、一時帰国中に日本支社を見学させてもらい、弊チームでどういうことをやってるかのトークをしたりして、数人とツイッター交換したりした*65*66。入社早々上司に日本へいずれ移転したい気持ちがあることを伝えると、理解を示してくれた*67。今年の10月には応用情報技術者試験を受けに有休をとり日本に行くのだが*68、会社の時間でその対策をすることを認められたため、オフィス、いやおそらく全英で唯一「うかる!応用情報技術者テキスト&問題集2023年」を読みながらうなっている人をやっている。

まとめ

このシリーズでは、「日本人」とは何かという疑問に焦点を当て、半生を綴った。すでにだいぶ長い時間をこの疑問にかけた僕も、完全な答えには達していないが*69、X君、R君、Y先輩、L氏、大学の先輩などからはっきりと言えることが、一つある。

「日本人」である、というものは、必ずしも人種、生まれた場所、住んだ場所、話せる言語、家庭環境、国籍など一つの要素で決まるものではない。

このうちどれ一つを基準として選んでも、明らかに「日本人」である人を除外することになったり、明らかに「日本人」ではない人を含むことになったりする*70。結局のところ人のアイデンティティーは多角的なものから決まるものであり、他人がそれを判断する場合には相当に慎重にならないといけない。

法的には国籍が当然重きをもつわけだが、個人としての付き合いでは、日本人だという自認が強い人を上記の分かりやすい基準一つを取って簡単に否定してほしくない。限度はある。人種も生まれた場所も住んだ場所も言語も家庭環境も国籍もすべて日本と関係ない人は日本人とは言えないだろう。が、このうちどれか一つが欠けているからと言って、本人の意に反して外国人扱いするのはどうかやめてほしい。それは、その人の残りの日本人らしさをすべて否定することになる。基本的に、個人の付き合いでは、相手が自認するアイデンティティーを理解*71できることが最善だと思うし、僕もそれを目指していきたいと思う。が、僕はより日本人であるため可及的速やかな本帰国も目指す*72

終わりに

3部にもなる長々とした自分語りにお付き合いいただき、本当にありがとうございました。なんかオチのない半生記になってしまい恐縮ですが、現在進行形の話なので、お許しください。たくさんの暖かい感想をいただけてうれしかったです。もし質問とか感想があれば、DMでもリプでも質問箱でも適当に投げつけてください!では。

*1:ちなみに書くの二回目:https://twitter.com/yuusanlondon/status/1688425146879545344?s=20

*2:こういうシステムになっているのは学費上の都合がある。イギリスの政府は国内生に対しては学位を持ってないことを条件に学費の上限を定めているので、卒業せずに修士まで取った方がお得なのだ。

*3:一説による

*4:後述する日本の就活の登録フォームとかでは、短大卒、4年制大学卒の次に修士卒、みたいに書いてあることが多いが、4年制大学行ってないんだけどね~と思いながら修士卒をクリックしてる。若干ずるいかもしれない。

*5:寮内では、数学科が一番多かったし、数学科の中では弊寮が一番人数が多かった。

*6:8週間程度

*7:僕の数倍頭のいい人でも、だいたい数問は解かずに提出することが多かった

*8:ついでに全員かなり優秀だった

*9:いや、狭いか

*10:別々のプログラムで5回ほど。参加者で長期留学をした人などもいるらしく、大変うれしい話

*11:少なくとも部分的にそう自認していた人

*12:自称部分的に

*13:若干聞き取ることはできるらしい

*14:当のL氏は、「あ、君たちなら日本語で話せるじゃん、なんかCoolだね!Hahaha」とかなんとか言ってた

*15:少なくとも部分的にそう自認していた人

*16:なんならたしかLさんと同じ寮だった。

*17:ただしこの場は日本人として来てるよ!

*18:満22歳

*19:努力義務とは一体なんなんだろうか(哲学)

*20:余談になるが、人生柄日英ハーフの人とは男女合わせて30人ぐらいは会ったことがあると思うのだが、今のところ全員日本人は母親側で、髪の色は茶色か黒く、目は茶色かった。漫画とかでなぜか多い、日本人が父で金髪碧眼な日英ハーフと会うことはあるんだろうか

*21:彼女がのちの。。。元カノである(´;ω;`) 

*22:そしてほぼ同時期に別れた。もう片方をみて付き合いだした、もう片方を見て別れた的な力が働いていた可能性も否めない

*23:なお、この破局*2とかいう地獄イベントののち、この6人で集まることは全くなくなってしまった。少人数の遊びグループの内から付き合いだすのは悪策だよ、と付き合う前から忠告していた韓国人Aには頭が上がらない

*24:僕はというと、相手の選択肢が十分狭い3人の内からでなら僕でさえ選ばれる可能性があるという個人的に非常に有益な学びを得た。なおそれを活かせているかというと。。。

*25:というより韓国人たちに布教された。ある晩、韓国人B,Cに部屋に監禁され映画版まどマギを全編見せられたこともあったりした。

*26:これまた韓国人たち(主にA,B)に布教された気が。。。

*27:なお実際に立ち上げ部長になり全部やっていたのは韓国人B

*28:あれ、僕なんもやってなくない?

*29:これは、ホロライブ5期生の前の時代の話で、言語の壁は厚く布教が非常に難しかった。ホロライブENみたいな組織があればいいのにな~と日々思っていた。実現して大成功してくれたカバーとえにからに感謝。実際、5期生が海外で流行りだした後に日英会で会った日本語がかなりしゃべれる香港人の友人は、彼のユーチューブの推奨動画にしぐれうい先生の動画があるのを見つけそこから話を広げだいぶ仲良くなった。

*30:これはだいぶ肉体労働で、鉄のフェンスってこんなに重いのか。。。と衝撃を(主に肩に)受けた覚えがある

*31:欧米版スーファミ

*32:部屋に入った時Wの弟君はゼルダのトワプリをやっていた

*33:たまたま周りが学内でもかなり上位で強かったというのもある

*34:D進したのち社会人、というルートもよくあるのだが、僕の実力ではこれもかなりのリスクを伴うと考えた。

*35:学部が3年で終わるイギリスでは、2年の終わりの夏にインターンもしくはリサーチプロジェクトに行くのが主流だ。早い人は一年でも

*36:この会社は2社目で、その頃インターン一社目に落ちたり、失恋したり、もう一方のカップルの別れ話に振り回されたりしてて相当落ち込んでた僕に、韓国人Bが勧めてきた(ちなみに彼は僕と同じ一社目を受けて受かっていた)

*37:韓国人Bには昼飯を奢った

*38:閉校になる前の学期に、なんか武漢で流行ってるらしいウイルスの再生数を計算してみよう!みたいなのが講義であったのを覚えている。たしか4とかだった。

*39:卒業はしない

*40:たしか、コドフォで雀魂がテーマだった回で、普段から麻雀をよく打ってた我々に勧めるのに最適だと感じたのかもしれない

*41:なんか2問ぐらい解けた気がする

*42:まあ彼は数学もかなり強いしそれはそうという感じではあるが

*43:のちに、韓国人Bに今度は僕が競プロを布教したのだが、彼も最近赤になった。改めて大学時代異常な環境にいたんだな。。。と感じる

*44:学内の日本人たちとつるむのが一年前からなくなってしまったのもあり、日本人との交流に飢えていた

*45:外資の日本支社も含む

*46:もともとはボストンキャリアフォーラムという非常に大きなイベントがあり、これはヨーロッパからボストンまで寝泊まりで行く人も結構いるぐらいには有名なのだが、それの派生が割と最近ロンドンにでき、便利になった

*47:普段ならロンキャリの会場でだが、この年はコロナで全部リモートだった

*48:新卒一括採用がない、イギリスの新卒就職のシステムが謎で何をすればいいのかよくわからなかったというのもある。いまだによくわかっていないが、同じようにインターンを経て就職というパターンは非常に多いように感じる

*49:と個人的には思っている

*50:これも、日本の大学に入るために帰国する人も多い中、イギリスの大学に入学した時点で怪しいが、科オリで忙しかった僕はそれどころではなった

*51:そして感じ続けている

*52:一応永住権を持ってる以上、数年に一度戻れば永住権はキープできるらしいが、ルールが不透明だし、内務省の一存・政策変更で取り上げられうるものだ。

*53:総合職じゃない技術職的な方でも内定ということになっていたが、この技術職で具体的に何をやるのかあまりよくわかっていなかった。

*54:別に新しく作ればいいと思っていた

*55:特にお金のかかる趣味もないので、必ずしも必要ではなかった。もちろんもらえるものはもらいますが(唐突な未来の転職先へのアピール)

*56:自分で決めないと絶対後悔すると思っていたので、あくまで参考程度に考えた

*57:イギリスでの就職の決め手が日本への帰国の可能性だったことは皮肉

*58:学年末の一発試験で成績が全部決まるのだが、いい成績を取るためには天才じゃなくちゃいけないが、凡でもちゃんと一定の努力をすれば卒業はできるようになってる良心設計な修士卒業試験だった

*59:ロンキャリで内定を得ていた

*60:この前誕生日会に行ったのだが、なんとか元気そうだ

*61:実家からも通えるのだが、窮屈に感じそうだった

*62:結果コロナにかかり、非常に大きな迷惑をかけたことは猛省

*63:いや、給料はいくら増えても困りませんけどね、チラチラ

*64:香港人とイギリス人のハーフ。なんかパスポートは中国と香港とイギリスとなぜかカナダのまで持ってるらしい

*65:日本支社の同期君みてる~?

*66:最近逆にイギリスオフィスに来てくれ、そこで日本支社でなにをしてるか話してもらった

*67:実は異動などで上司3人いたのだが、全員理解を示してくれた

*68:これも、日本でいずれ転職することを考えて、だ

*69:おそらく一生達さないが

*70:ここでいう明らか、は直感的に明らかの意で、「この人は日本人じゃないと本当に本人の前で言えますか?おかしいですよね?」という例が存在する、という意味

*71:なぜそう思っているのか理解する、という意味で、よくわからんけど受容するだけという意味ではない

*72:はい、いいこと言ってた感が台無し

「僕は日本人です」とは 中高編

この記事は「僕は日本人です」とは - yuusanlondon’s blog (hatenablog.com)の続きとして書いてる。

上の記事では10歳半でイギリスに再び来たまでの話をした。この記事では高校卒業までを扱いたいと思う。引き続き、日本人であることや回りの「日本人」に焦点を当てつつ半生を振り返っていく。

小学生(10歳半~11歳半)

小五の夏に日本を離れた僕だが、学年が九月から始まるイギリスだと小六の初めにロンドンに来た、ということになる。一年だけ入った小学校はロンドンの市街地のごく普通の公立小学校だった。が、移民が多い地域だったこともあり、「英語が自由にしゃべれない」生徒をサポートする役回りの先生が一人いた。これにはかなり驚いた覚えがある。

僕はというと、人種差別を受けるかもしれない、と身構えて行った割にそういうことが何もなくて安心した。海外でのアニメ・マンガ・ゲームその他日本のサブカルチャー人気について - yuusanlondon’s blog (hatenablog.com)にも書いたように、イギリスの我々の年代の子供たちには、日本のサブカルの浸透率が高く、好感度も平均的には高いことが大きな理由だったと思う。ここで一番仲良くなった子はオーストラリア人とスリランカ人の子たちだったが、このうちスリランカ人の子は小学生ですでに結構アニメ*1を見る人だった。これに関しては日本人である僕でも見てなくて若干の申し訳なさと焦りを感じた。

人種的に多様なロンドンの、さらに移民が多い地域となると、そもそも白人が半分いるかいないかという学校だったので、疎外感もなかった。日本人は各学年に一人~二人居て、その大半は駐在員の子供(僕含む)だった。そのうち数人とまだ連絡が取れてるのだが、そのまま日本に帰国し日本の大学を出て日本で就職した人もいれば、また別の国へ駐在し、転々としている人もいる。この学校では人種的に日本人だった人はほぼ全員100%日本人だという自意識だったように感じる。2,3年で返ることが多い駐在員の子供なので、自然だろう。

この学校では色々な驚きがあったが*2、一番大きな驚きは、勉強の緩さだった。僕は東京でも普通の地元の公立に行っていたわけだが、脱ゆとりの時代だったのもあり、宿題は毎日漢字ドリルと算数ドリルが数ページ出た。ところが、このほぼ同じ条件であるはずのロンドンの小学校では、宿題は多くて週一回算数と英語で一ページずつ出る、という状態だった。漢字を覚えないといけない分日本の国語の方が勉強量が多いのはまだわかるが、算数に関しては、この宿題の量の差はそのまま実力の差につながっていた。現に、僕は日本では算数の出来は並だったが、新しい学校ではクラスで一番できることになった*3。ちょっと拍子抜けしたのと同時に、これは僕の中で「僕の数学や理系全般に関しての実力はすべて、日本の小学校に行ったことから来ている。ひいて日本人であることから来てる」という謎の価値観を植え付けた。

そういうわけで現地の学校では思ったより順調に滑り出したわけだが、家では人生最大の修羅場を迎えていた。というのも、10月上旬に、親が中学受験を勧めてきたのに特に深く考えずOKしてしまったからだ。ロンドンの郊外に、公立だけど入学試験がある男子一貫校*4があり、さらに試験形式がマークシート式なので、英語がダメな僕でもダメ元でワンチャンスがあるかもしれないという話を親から持ち掛けられ、ダメ元なら、と地下鉄に乗りながら合意した覚えがある。結果的にこの地下鉄合意からの3か月は24までの半生で一番過酷な勉強をした時期になった。

日本では親の金で英会話教室に通い学校の小学校の英語の授業でドヤり散らかしてた僕だが、当然現地の、それも中学受験をするような、生徒の足元にも100m以上及ばない状態だった。*5そこから、英語を受験科目として含む受験を3か月後にするというのだから大変にならないわけがない。幸い、11月にあった一次試験は、パズル的な要素が強い科目だった*6。マークシート式の試験をエスパーと運で乗り切ることがこのころから得意だった僕は何とかパスした。大変なのはその後12月下旬に控えていた数学と英語の二次試験だ。数学は「日本人パワー」でどうにかなるが、英語は長文読解や語彙のテストが出ることが分かっていたため大変だった。毎日学校から帰ったらご飯以外は勉強という生活が3か月続いた*7。父親は相変わらず常に出張中だったが、ほかに僕に英語を教えれる人がいないため、出張先からほぼ毎日スカイプで教えてくれた。今だからこそ教えてくれたという言い方ができるが、当時の僕にとって、スカイプの着信音は三途の川のせせらぎに聞こえた*8

こうした両親の努力や、大雪の影響で試験が二週間延期されるという幸運などもあり、なんとか合格までこぎつけた*9。そしてこの地獄のような勉強を、10歳という言語習得にほぼ最適な年齢でした結果、僕の英語力は現地の一般人と変わらない水準になっていた。この英語力の上達は学校の先生方にもとても驚かれたが、そりゃこんな無茶をする人はそうそういないはずだ。今でもどうやって英語を習得したか聞かれることがよくあるが、到底推奨できる方法ではないし、そもそも10、11歳ぐらいじゃないと普通十分な速さで吸収できないと思う。

地獄から生還した僕は上記のオーストラリア人たちとトランプをしたり*10、日本人たちとスマブラをしたりなどして緩い小学6年生を過ごした。

前記事のX君とその家族とも会った。X君の家族と会うときは、X君の母と僕の母が日本語でしゃべり、X君の父と僕の父が英語でしゃべり、X君と僕も英語でしゃべる、と分かれることが多い。X君は数単語日本語も中国語*11もしゃべれるが、それで会話をすることは難しい。このころから、誇れと言われ続けてきた「日本人」とは何かを僕は時折考えるようになった。最近聞いたところ、X君本人はイギリス人という自認だが、血縁的に引いている分日本や中国の文化に興味はある、とのことだ。彼は国籍上は日本人ではないし、アイデンティティーも違うし、住んだこともないし日本語も話せない。が、現行の法律だと日本国籍になりえた*12。では「日本人」とは何か。

中学生(11歳~16歳)

イギリスの中高の線引きは非常に難しい。11歳から18歳まで計7年あるのだが、明確に中学校と高校で分かれているわけではない。一応5年終わった後別の学校に行ったりすることもできるのだが、卒業式や入学式があるわけでもない。さらにややこしいことに、私立のシステムだとそのタイミングがまた違かったりする。なので、「中高一貫の学校に通ってました」とはいうものの、実態は「7年間ある中学校に通ってました」に近い。だけど、11歳から18歳というだいぶいろいろある期間を一つの「中高生」セクションにするのも気が引けるので、いったん最初の5年間と最後の2年間で分けることにする。書く量で言うと同じぐらいになりそうだし。

通い始めたロンドン郊外の公立男子校には、小学校と同じように学年に一人か二人日本人がいた。僕の学年にはもう一人、日本人のR君がいた。彼とはたまたま*13同じホームルームに所属していた。彼は生まれも育ちもイギリスなのだが、人種的には日本人で、日本語が少なくとも僕とは全く変わらないレベルでしゃべれた。家で日本語をしゃべってることや、ロンドンにある土曜補習授業校*14に通っていたことから得たらしい。彼は野球少年でイギリスのユース代表にもなったりしていた。イギリスでは野球はほとんどプレイされず、代わりにクリケットがメジャーだ。R君はよく、イギリスに甲子園がないこと、そして彼は一生甲子園を目指す機会がないことを嘆いていた。彼と公園でキャッチボールをしたことがあるのだが、僕は彼の球を受けきれず後逸し、そのまま使ってたサイン入りボールをなくした*15。そんな彼は、何人か聞かれると常に日本人だと答えていた。R君は日本で生まれたわけでも住んだことがあるわけでもない。が、風貌、話し方、知識などからは日本で生まれ育った人と容易に見分けがつかないし、国籍は日本だし、アイデンティティーは日本人だという。では「日本人」とは何か。

中学校に上がると、入試があり勉強を重視してる学校だったのもあり、宿題が一気に日本並みに増えた。それでも数学などはレベルが低かったのでよかったが、文系の科目はことごとく小論文、エッセイの宿題が出た。イギリスの文系科目では、基本的に大量の文章を書くことが求められる*16。それに、基本的に自分の意見を理由だてて書かないといけないので、歴史上の事柄や倫理道徳宗教的な問題、経済論にまで意見を持つことを求められた。理系科目に関しては日本とのレベル差をひしひしと感じていた僕だが、文系科目に関してはレベルの差というよりは方向性の違いを感じた。作文の宿題なんて長期休みでしかやったことなかったのがいきなり週最低1000単語*3,4本書くことになった僕は、毎週いかに最低単語数までかさましするかを考えながら弟が見ている子供向け番組を横目*17にゴロゴロする日常を過ごした。

2011年3月11日、僕は何も知らずいつも通り学校に向かった。午後のホームルームで、R君が、日本で大きな地震があったらしいよ、と教えてくれたが、M8.9*18と聞いて、さすがになんらかの誤解だろうな、と特に深刻に考えずに帰宅した。玄関を開けたとき母親の顔を見て、誤解なんかではなかったことを察し胃がねじれるのを感じた。幸い日本の祖父母や従兄弟は無事だった。

そこから2,3週間はイギリスでも地震のニュースでもちきりだった。学校でも募金活動があり、R君も僕も多めに入れた。普段は目立ちたがりだった自分が、地理の授業で震災が触れられたときクラスの視線がかなり痛く感じたことを強く覚えている。数か月たったのち、R君と、我々はまた一つ、同世代の日本人の大半が体験したことを体験しなかったことになった、という話になった。今後もなにか大きな事柄があるたびに、すこしずつ距離が離れていくような気がして焦りを感じた。

しばらくしてるうちに、イギリスに来てから3年がたとうとしていた。父の異動が迫っており、どうやら次は日本になるらしい、ということが分かってきた。日本の小学校の友人に、出発前に渡された「早く帰ってきますように」と書かれた紙きれ*19や、元彼女(笑)に渡された手紙*20などを見返して、3年間一度も一時帰国していなかった自分は帰国の機運を高めていた。相変わらず教育熱心な親は、日本で帰国子女用の編入試験がある中高を見つけてきて、とりあえず受けろと言ってきた。小学校の子たちの大半が進んだであろう中学に行けないのか、とは思ったが、まあ新しい人と会うのも悪くないとも思い、僕は編入試験の対策をした。試験は小論文*21とグループ面接で、小論文は普段から学校で書かされまくってた自分は日本語で書く練習を少しするだけで事足りた。本番では、日本語の小論文の課題で、「あなたが滞在してた国で、一番誇りにされているものは何か」という題が出た。歴史の授業で小論文を書きまくってた甲斐あり、我ながら中学二年生にしてはきれいな論理を組みたてながら、いかに旧大英帝国が現在のイギリスの国民気質へ影響を及ぼしているかを論じた。書きながら、僕は日本人で、日本の学校への編入試験なのに、イギリス人の目線に立って論理を組んでることを若干滑稽に感じた。次第に、「イギリス卒業論文」を書いている感覚になり、試験真っ最中に謎の凱旋気分に浸っている傲慢野郎になっていた。ほかの受験者と日本語で話すグループ面接では、ほぼ世間話みたいな話をさせられた覚えがある。「英語をまぜてもいいですよ」と試験官に言われたのだが、自分含みほとんどの人が日本語オンリーで話した。僕のグループで唯一英語を混ぜてしゃべっていた子が落とされていたことに関しては、今でも少し疑惑を感じている。

かなり手ごたえを感じながら親に報告したその数秒後に、実はイギリスに残れるように英国企業への転職活動をしてて、一社決まりそうだ、という話を聞いたときにはだいぶ乾いた笑いが出た*22。次の日、張り出された紙に自分の番号を見つけたときには、掲示板の前でちょっと失笑気味に笑う不審者になった*23

親は、自分や弟の性格的にイギリスに残った方がいい、との思いもあり転職活動をしていたらしい。実際に、日本の小学校ではいじめられてた自分も、イギリスだと小学校でも中学校でも何もなかったし、その後ゆるーくやらせていただいた・ているのもイギリスならではだとは思うので、客観的に間違ってはいなかったとは思う。が、思いっきり帰国の機運を高めていた当時の自分にとっては若干のショックではあった。

その後、出発する前に、連絡が切れてたけど住所は知っていた友人宅に凸しに行った。下町の街並みは3年ぼっちじゃほぼ変わっていなくて少しほっとしたが、少し見上げると前はなかった東京スカイツリーがたちそびえていて、謎の違和感を感じた。友人はというと、予告せずピンポンしておどろかしてみたところ、小学の同級生を数人集めてくれた。

「(僕)ってそろそろ帰ってくるはずなんじゃなかったの?」*24とファミレスのドリンクバーで10種類混ぜながら聞かれたときに、うつむきながら現状を伝えたときの「そっか~(ウーロン茶ジュースコーラカルピスごくごく)」のちょっとおどけたトーンを今でも鮮明に覚えている。元彼女(笑)の現在を知る人はいなかった。彼らと会うのも現状これが最後となってしまっている。

そういうわけで価値観の根底に日本人であることが埋め込められたままにもかかわらず、いつ日本に本帰国するのかわからなくなってしまった僕は、ますます日本人であるということを強く考えるようになった。そこで、少なくとも日本のメディアにもっと積極的に触れておこうという結論になった。上にも触れたが、イギリスの我々の世代では、日本のアニメ漫画ゲーム人気は相当に高い。クラスの中でもよくアニメを見ていた人と良く話すようになった。その流れで、いろいろなウェブ漫画を読むようになったり、涼宮ハルヒなどのアニメを見るようになった。ありがちな、部活ものの漫画などを読みながら、自分は一生日本の中高に行くことはないんだな。。。となり悲しくなったりもした。*25

ここで、本当に僕はこの時帰れなかったかを考えてみよう。当時僕は中2,3で、まだ一人暮らしできるほどしっかりしてない。が、祖父母や叔母は東京にいたし、中学生で一人で帰っていった人を僕は結構知ってる。逆に中学2,3年で海外に一人で留学しに来ている人も、さらに少数だけど知っている。もし僕がここで本気で日本に帰りたいと主張してれば、許されていたような気もするし、そもそも親も転職を頑張らなかったかもしれない。

まあ、この件に関してはそこまで自分は責任を感じていない。上記の数人はとても若いうちにとても強い自立心と目標意識があった、という異例の存在であり、それが特別なのであって、中2,3で親の都合に流されている僕はいたって普通だろう、と考える。また、帰ったとしてもそこで今現在と同じぐらい幸福な生活ができたとは限らないので、客観的に正しい選択かもきわめて怪しい。もっと後の選択に、より自分の選択、責任と言えるものがあるのでそこでもう一回詳細に考える。

そんなこんなで、特に目立ったイベントも実績もなく、中学も終わりが近づいてきて、全イギリス生徒が受けるGCSEという中学卒業試験を受けた。受験科目は、英語、数学、物理、化学、生物、経済、歴史、宗教、フランス語、音楽。後、学校外で、ノー勉で最高成績が取れることが確定していた日本語もついでに受験した。結果、なぜか英語の成績があまりよくなかったが、それ以外はどうにかなった。また、この年、参加したIntermediate Maths Olympiad(日本で言うJJMOに相当)でなぜかうまく行った結果夏の中学生用の合宿に呼ばれた。この合宿はその後の自分の人生に多大な影響を及ぼすことになる。

高校生(16歳~18歳)

中学の終わりに呼ばれたUKMT*26主催の合宿では、当然数学が好きな子たちがたくさんいた。中には一年後輩で、なぜかトランプゲームのラミーがすごい好きな日本人もいた*27。彼らとつるむのは楽しかったし話が合った。また、合宿のプログラムは数オリの練習だけではなく、大学数学の入門的な話もあった*28。これが非常に面白かった。ここで僕は数学科に進むことを意識し始めた。*29。が、そこで大きな心理的障壁が立ちはだかる。それは、小学6年生の時に培った「僕の数学や理系全般に関しての実力はすべて、日本の小学校に行ったことから来ている。ひいて日本人であることから来てる」という価値観だ。このころ自分の中では、日本で小学校に行ったんだから(もう6年たってるにもかかわらず)数学は人より出来て当然、というかなり飛躍した論理が成り立っていた上、数学科で学ぶことは直接仕事で役に立てれないので、よほど数学科が身にあってるという自信がないと後悔する、という印象を持っていた*30

という相談を副校長にしてみた。この副校長先生は、数学の先生で、かつピアノを弾くので、そのころ集会などでよく弾いてた自分を可愛がってくれていた。ある放課後、練習してたら外で聴いてた副校長先生がそのプロの演奏のCDを貸してくれたこともあったりする。その敬愛なる副校長先生は、一旦僕の話を聞き終えると、一瞬あきれた表情を浮かべたのち、「もし日本人だったらみんなできるレベルのことなんだとしても、あなたはその日本人なんだからそれを誇りにやりたい数学をやるといいのではないか」的なことを言った。これには納得せざるを得なかったし、そもそも「日本人であることを誇りにする」的な価値観を強く持っているはずだった僕にはクリティカルに効いた。

まあとはいえ、現実問題そもそも数学科に受かるのか、受かったとして卒業した後就職先あるのかとかいろいろ怖かったので、受ける学科を決める前に客観的な指標が欲しかった。12年生*31での数オリでのBMO2*32進出を目安にすることにした。ここから、一気に数オリの練習だけする人になった。人生で初めて親にも学校にも強制されずに自主的に勉強し、またそれを結構楽しんだ。

イギリスでは、高校ではALevelという試験を選択する。ここで4教科選択するのだが、数学はMathsとFurther Mathsで二教科としてカウントされるので、僕は数学(*2)と物理と化学を学んだ。この4つは通称The Asian 4と呼ばれており、アジア人がよく選びがちなセットと言われている。ひどいステレオタイプではあるが、上の「日本人だったら誰でもできる」的な価値観との適合性は高かった。

同じころに、一年上のVon M先輩が日本語部というものを設立するという話を聞いた。*33。待ってましたとばかりにVon M先輩に凸して入部した。唯一の日本人として即副部長になった。Von M先輩は金髪碧眼*34のカナダ人なのだが、日本オタクで中国オタクだった。そして、日本語と中国語が得意で、日本語を下級生に教えるために週一の日本語部を立ち上げた。

Vonというミドルネームは、元々はヨーロッパ大陸の貴族の出であることを示しているのだが、Von M先輩はそれをあまり快く思っていないらしかった。のちに、彼は大学に進んだぐらいのタイミングで、正式にYに改名した。改名した先の名前は、日本語と言われても中国語と言われても英語と言われても違和感のない名前だ。彼は、自身を「日本人」だと主張したことはない。が、彼は日本語をかなり流暢にしゃべるし、日本に数か月住んだこともあるし、名前は日本人にかなり寄せている。では「日本人」とは何か。

Von MもといY先輩とは、彼も数学科に進むつもりだったのもあり、すごく話が合った。イギリスの「部活動」は、週一回で昼休み中に30分やるというすごくソフトなものが多くて、日本語部も例外ではなかったのだが、なんか別の曜日に毎週放課後に二人で部室に残ってだべる時間が生まれた。これにより、ちょっとあこがれてたがあきらめていた「放課後部室でのだべり」というシチュエーションが実現することになり感動した。Y先輩もそういうのをやってみたかったんじゃないかな。

話は戻るが、めっちゃ対策しまくった僕は無事BMO2に進出を決めた。肝心のBMO2の結果は40点中10点という大惨事だったのだが*35、当初の目安を達成した僕は数学科への進学を決めた。また、数オリ対策は、ほかの科オリ対策にもなるらしく、物オリと化オリでもなんかいい感じになり、それぞれ12年生用の合宿に呼ばれた。この合宿でも物理や化学の面白さを力説されたが、このころは完全に意を決していたので、友達作りに徹した*36*37

一年たち、Y先輩が卒業となり、僕が日本語部長となった。部長となった自分は、かねてよりあこがれていた、ゆる~い部活!というものを実現するために奔走した。クリスマスが近いある日には「これが日本の伝統なんです!」でゴリ押してケンタッキーを校内で配布したし、節分には豆とお面を持ってきて、投げつけあった結果、カーペットの上で豆を投げると後片付けがめっっちゃ大変になるということを学んだ。名残惜しさがあったのか、一週間に一回放課後部室で残るのも一人で続けた。*38。肝心の日本語を教えるという本来の目的はというと、一年かけて部員十数人中半分ぐらいひらがなを半分ぐらい覚えた、ぐらいという体たらくだった*39。卒業する前に全権委任状をY先輩名義*40で書いて、自分を二代目部長として連名し、一年下に唯一だった日本人を三代目として任命した。あとで聞いた話だが、ちゃんと一年部長をやってくれた後、4代目を任命し、5代目まで行ったときに、コロナで全部活が一時活動停止になり、日本語部は自然消滅したらしい。

最終学年となり数学科進学を決めてた自分はますます数オリ対策をやった。大学受験の年でもあるのだが、数学と物理と化学だけやっていればいいイギリスの大学受験はそこまで大変ではなかった*41ので、ほとんどの時間を数オリ*42に費やしていた。その結果、前年の結果からさらに一歩進み春の代表選考合宿に進めた*43。ついでに物理と化学も春の代表選考合宿に進んだ*44。合宿は結果から言うと、ほぼ全滅だった。特に面白いのは化学で、実験で白い粉を複雑な手順*45を踏み黄色い粉に変えないといけなかったのだが、なぜか僕のサンプルだけ黒くなった。この実験に関しては、NMRで求められてた最終プロダクトの純度を測定してそれで各生徒を採点したらしいのだが、一サンプルだけ最終プロダクトはゼロだし、そもそも何なのかわからない謎の物質が含まれていたという話を試験官から聞いたときには失笑した。唯一完全な爆死*46ではなかったのは、一年中練習してた数学で、これは、バルカン数学五輪というバルカン半島の大会にイギリス代表として出れることになった。そもそもバルカン半島にイギリスは当然含まれないのだが、なぜか参加が認められていた。*47EGMOに日本や中国が参加しているのと同じ感じだ。UKMTは、この大会を、できるだけ多くの人に国際大会を体験させてあげる機会として活用しており、一人につき一回までしか参加できないことにしていた。幸いにも、イギリス勢は異常に僕の学年が強くて、*48春合宿参加者の同級生はほとんど何年か前にバルカン五輪にすでに行っていた。結果、僕みたいな正直春合宿行けただけでもラッキーな人にも声がかかった。

ここで、また疑問がある。僕は日本人なのに、イギリスを代表していいんだろうか?当時のUKMTのルール上は、3年イギリスに在住していたら代表してよかった。が、これは国によって結構ちがう。マレーシアに住んでいた韓国人の友人は、もし認められてたらゆうに代表になっていただろうにもかかわらず、マレーシア数学五輪協会の既定により代表になることが認められなかった。2年間の大部分を数オリに費やした自分にとっては参加しないという選択肢はなかったが、今でも思いっきりユニオンジャックが刺繍されてる当時の制服を見るたびに誇らしい気持ちながらも少しだけ違和感を感じる。

代表が決まった後はなおさらに練習した。バルカン五輪の過去問も、IMOのショートリスト(のうち簡単な方)も解いた。大会はマケドニア*49のOhridという湖に面した町で行われた。マケドニアなどは、そうそう行く機会がないので、その点すごくいい旅になった。連日晴れていて、湖に移る遠い対岸がきれいだった。一方空港から向かうバスからは、(マケドニアの中であるにもかかわらず)アルバニアの国旗を掲げてる集落の前にバリケードが築かれていたりしているのも見れて、民族紛争の名残というか現状も感じた。当時マケドニアを名乗ってギリシャとその名前に関して喧嘩していた現北マケドニアだが、ギリシャ代表もいる中で現在地をマケドニアと呼ぶとちょっと問題になりかねないので、Ohridと呼ぶように、とチームリーダーに言われたのは少し面白かった。

肝心の結果はというと、40点満点中5点という大爆死を遂げた*50。一問目は完答できたと思っていたので、それに致命的な欠陥が見つかったとチームリーダーから聞いたときには、半生で一番体の内部がひっくり返る感触を感じた。*51。そのあとは意気消沈しながらも、Ohrid観光を楽しんだ。本番前の取り決めで、表彰式では、イギリス代表で一番点数が高かった人をCaptain Brexit*52に任命して、彼は全身ユニオンジャック状態で表彰される羽目になった。帰国時、経由地のハンガリーでちょっとした事件があった。イギリス代表はイギリスのパスポート所持者4人と中国のパスポート所持者一人と日本のパスポート所持者一人だったのだが、どうやらハンガリーと中国の間ではビザなし観光が認められていないらしく、経由地として一瞬入国することさえ認められないらしかった。結局彼女は入国することなく直接イギリス行きの便にエスコートされた。一方日本パスポートでの入国はスムーズに認められた。外務省に感謝。なお、この大会に関して家族からは「マケドニアで負けドニア笑笑」と6年たった今でも煽られ続けている。

負けドニアからの帰国のフライト上で、本格的に受験勉強を始めた*53。幸い数オリと比べたら大したことない難易度で、数週間でどうにかなった*54。受験勉強本編より問題だったのは、英国永住権の取得だった。実は、イギリスの大学の学費は国内生と国外生でだいぶ違くて、一年につき3万ポンド弱=500万円ぐらいの差にはなる計算だった。国内生の学費が適用されるためには、イギリス国民であるか、イギリスの永住権を取得していないといけない。永住権を取得するための在住条件が、ギリギリ入学直前の8月に満たされることが分かっていた。そのため、8月までに、永住権のほかの条件を満たす必要があった。まず英語のスピーキングテストがあった。いや、中高ずっとイギリスの現地校行ってるんですが。。と思いながら高い受験料を払って面接官と世間話をしてると通った。これより問題だったのはLife in the UKという謎市民テストだ。Life in the UKという、イギリスの歴史や文化に関して書かれてる本から出題される、知識ゲーテストだ。イギリスの政治システムや、歴史に関する問題ならまだ良い。中には、XXXX年にサイクリングで金メダルを取ったイギリス人は誰ですか?とかいうどうしようもない問題もあるんだから困った。数オリの勉強から移行した先がアスリートの名前の暗記だった人はなかなか珍しいんじゃないかと思っている。コンピューター上でやる試験なのになぜか一万円近くとられるこのテストを何とかパスし*55、入学一か月前の8月末にギリギリ永住権を獲得した。

ちなみに、永住権を取得してから数年で、イギリス市民権(=国籍)を取得できるらしい。しかし、日本は二重国籍を認めていないので、当然ながら僕は取得する予定はない。なぜなら僕は日本人だから。

 

長かった中高編がやっと終わった~

次は大学とその後編、かな

*1:ブリーチなどの少年モノ

*2:給食のまずさとか。。。

*3:そして後にこのまま調子乗って大学は数学科に進むのである

*4:Grammar Schoolと呼ばれる

*5:私立の学費がすさまじい(学費が平均年収を超える学校もざらにある)イギリスでは、公立の試験あり学校は富裕層ではない教育熱心な家庭に非常に人気だった

*6:Verbal/Non Verbal Reasoning

*7:家でゴロゴロするのが昔から好きな僕が、人生で唯一学校の方が居心地がいいと感じた期間だった

*8:今でもスカイプの着信音にはトラウマを呼び起こす効果がある

*9:余談だが、受験しなかった場合行ってた現地の中高は数年後校長がドラッグ関連で捕まるなどしていたので、結果として頑張ってよかった

*10:500というトリックテーキングゲームをよくやった

*11:多分北京語

*12:現行法だと日本国籍は片親が日本国籍を出産時に持っていたら取得できるため、祖父の一人が日本人のX君も可能だったことになる

*13:だと思ってたが、ほかの学年でも日本人が同じクラスに入れられたりしてるらしいので、実情は分からず

*14:土曜日に、日本の小中で受ける国語の授業を日本政府によって与えられた教科書で行われる

*15:その後キャッチボールに誘われることはなかった

*16:これは大学卒業まで続くらしい

*17:という割には結構がっつり見てた気もするが

*18:当初8.9と速報が出てたが後に9.1まで訂正された

*19:なんでもうちょっとちゃんとした紙に書いてくれなかったのかは知らない。たしか実家に置いてあるはずだ

*20:こっちはたしか捨てた

*21:英語や何らかの外国語と日本語で一本ずつ

*22:厳密には、転職活動をしてることはすでに知っていたけど、可能性は低いので、編入試験対策はちゃんとしといたほうがいい、と聞かされていた

*23:張り出された紙から自分の番号を見つける、という日本式の合格発表は自分はこの一回しか経験したことがない

*24:出るときに2,3年で帰ってくる可能性がある、と伝えていた

*25:これは、幼少期からイギリスにいる人あるあるの感覚らしくて、R君もそうだったし、ほかの友人でも結構いる

*26:イギリスの数学五輪協会。非常に金持ち

*27:彼は後ほど同じ大学の同じ寮に数学科の後輩として入学する

*28:具体的には、集合論の基礎、写像と単射全射の定義、無限の定義、カントールの斜め論法までやった

*29:UKMTからすると思うつぼ、というところだ

*30:この印象は今でもあながち間違ってないと思うが、じゃあ自然科学だったら直接使えるのかというとそれもだいぶ怪しい。工学だったら実用性ワンチャンあるけど、それでも結構少ないらしい

*31:イギリスの中高は7年生から13年生まである

*32:日本で言うJMO本選に相当

*33:厳密に言うと、Japanese clubと聞いたので、当初日本語言語のものだとは思わなかった

*34:Von M氏自身は、碧眼はいいんだけど、金髪より黒髪の方がいいよね、という謎の美センスを持っていた

*35:当時、周りには「今後これより低い点数をテストでとることはないと思いたいね笑笑」という一級フラグ建築士ムーブをかましていた

*36:ここで会った内結構な数の人とその後数学科で再会した。数オリ勢が物理や化学科に行くことはないのだが、逆はかなり多かった

*37:これ今気づいたんだけど、先に物理の合宿があったらそっちに取り込まれてた可能性高くない?となると12年生ではなく中学の終わりに合宿を開くUKMTが策士ということか。。。

*38:時々後輩が顔を出してくれた

*39:そもそも日本語を勉強しに来たというより学校一ゆるい部活という噂を聞いてだらけに来た生徒が多かった気がする

*40:無許可

*41:中学受験が地獄すぎて、相対的に天国だったという面もある

*42:とピアノ。このころ、ピアノのABRSMのグレード試験がやっと終わり、卒業試験気分でDipABRSMを取った

*43:当初の結果発表では僕の名前が載ってなくて、自己採点的に行けると思ってた分意気消沈してたのだが、数日後に更新された。なんか先生が僕の答案を発送し忘れてたらしい

*44:天文学でも進んだけどこれは物理とバッティングしたので断った

*45:一部の手順が欠損してて自分で考えないといけない上、求められるスピード感とマルチタスクが半端なかった

*46:時には文字通り爆発した

*47:ほかにもサウジアラビア代表とかスペインとかも来てた

*48:まあこれはIMOに行く難易度は異常に高かったことも意味するのだが

*49:現北マケドニア

*50:華麗なるフラグ回収

*51:なお、5点でもイギリス代表6人の内5位で、最下位の子は2点を取った。この人とは現在シェアハウスで同居していて、時々この大会の話になるたびに、「でも僕君の2.5倍だったからな~(笑)」と最悪の煽りをしている。当然一問も完答できてない時点で大差ないし、大学での成績は彼の方がよっぽどよかったことがよりこれをバカバカしくしている。彼とはもうだいぶ長い付き合いになるな。。。

*52:当時ブレグジットの国民投票が行われて間もなかった

*53:STEPという、数学科専用の数学入試試験の過去問などをやった

*54:そこまでむずくないな、というのを事前に分かっていたから爆死の瞬間まで科オリに専念できた

*55:本番では、24問中3問がEmily Pankhurstの問題で、結局アスリートに関する問題は一問しか出なかった

「僕は日本人です」とは

全世界のプロ作家の方々に怒られそうなツイートをしながらちょっと考えた結果、本を書くほどではなくてもブログ記事にするぐらいは許されそうかな?と思い立ちこのブログ記事を深夜3時近くに書いてる。一応読者にとっての有益度が正であることを目指していた過去記事と違って、この記事に関しては読者の有益度度外視なので、文体も独り言のそれにする。読む人にとってちょっと物珍しさ・よみものとしての面白さがあるといいな、ぐらいで。

はじめに

我ながらかっこつけてあえて解釈の幅が巨大なタイトルをつけてしまった。大前提として、僕は数学科卒の文系的教養ゼロマンであり、文化歴史的な観点や国際法的な観点からの日本人を論ずることは到底できない。以下の話は100%僕個人が、「自分は日本人です」と自己紹介するときに何をもっていっているか、というとんでもなくスケールの小さな話だ。

一方でこの一文は僕の自己紹介で一番大事な文章でもある。

自分の自己紹介の残りの文章は、あくまで後付けであり、また多くの場合日本人だったからそうなった、というたぐいのものなので。

この記事では、自分の半生とその中で会ってきた「日本人」の話を中心に今現在(24歳)の自分の考えを書いていきたいと思う。

幼少期(-9か月~10歳)

幼少期は当然受胎から始まる。僕の両親は結婚直後に父の仕事の都合でイギリスに移住し*1、数か月後に母は僕を妊娠した。つまり僕はイギリスで「できた」(要定義)ことになる。いきなり雲行きがだいぶ怪しい。

出産まで数週間になった時、母親は一人で日本に帰り僕を産んだ*2。ここで当然、「なんでわざわざ?」という疑問がある。

一番目の理由として、母親視点でまだ一年も住んでない異国で出産するのは心もとなかったというのがあるだろう。それより祖父母もいるし日本語も通じる日本で産むというのは納得がいく。

二番目の理由として、両親の意向として、「子供には日本人であってほしいから」という気持ちがあったそうだ。日本の国籍法上これはなんも意味がない。出生時に親のどちらかが日本人だったら、どこで産まれようが日本の国籍はもらえる。では、親が「日本人であってほしい」と言うのは何を指して言っているのだろうか。「日本人だ」という自覚をもって生きて欲しい、ということになるだろう。そもそもこういう2番目の理由があったんだよ、という話を小学生の僕に伝えてる時点でつまりそういうことだ。

ここで、親の価値観に触れないといけない。僕の父は幼少期をアメリカで過ごした元帰国子女だ。一般論として海外在住になると愛国心が増大する人は多い。父も例外ではない。さらに父は軽めの(?)差別を受けたりもしたらしい。この結果、負けず嫌いな性格もあり、彼は「日本人であることを誇りにすること、さらに、異国にいるときは日本人を代表するぐらいの気概で臨むこと」というなかなかに硬派な価値観を身に着けた。ここで言う「代表」は、偉ぶる、という意味ではなく、「常時日本の恥にならないような言動に気を付ける」とかいうとんでもなく壮大かつハードルの高いものだ。

そういうわけで、父親はもともと非常に「日本人であること」に重きをおいており、初めて海外に移住して間もない母親もそれを強く意識してる状態だった、ということになる。子供に日本人としての意識をもってほしい、という考えになるのもわかる。

そんなこんなで無事自分は東京の病院で生まれる。そのまま母や祖父母に面倒を見られながら生後6か月までを日本で過ごした。このころまだ存命だった曾祖母との写真もあったりする。ここで、母は僕を連れてイギリスにいる父と合流する。まだ結婚間もない時なので、これも自然だ。そもそもイギリス配属も2,3年で、あと2年ほどでの帰国が決まっていたのだから、そこまで大きな負担でもない。

生後6か月にロンドンに移住した僕は、すくすくと育って3歳になった。正直このころの記憶は、キンダーガーデンで他の子と手をつないで踊った、というワンフレーム分しか残ってない。親によると、公園でリスと遊んでたら噛まれて、病院行きになり、以降リスにビビり散らかしてた、ということもあったらしい。どうやらビビりであることに関しては三つ子の魂二十四までだそうだ。このころ、今でも連絡を非定期的に取り合っている同級生のX君と知り合った。X君は、お父さんがウェールズ(イギリス)人で、お母さんが日本人と中国人のハーフの、クォーターだ。彼は後ほどまた登場する。

3歳になったころ、父親には予定通り日本への帰国命令が下り、家族一家で帰国した。帰国した後は普通の幼稚園から普通の地元の小学校に通った。父の仕事の都合で、6,7年後にはまた海外へ移動することがこの時点でほぼ確定していたので、両親は常にその前提で僕と接した。特に明確に覚えてるのが、上の「海外に行ったら日本人であることを誇りにし、恥がないような言動をする。相手にとっての全日本人に対する無意識の印象はあなた一人で決まる可能性があるのだから」という話をかなり口ずっぱく言われてたことだ。なんなら父親との入浴中にも言われた記憶があるので、小1以前とかの時点ですでに言われていたことになる。結果これは僕の価値観のかなり根本に根付いた。

また、小3のころから週一で一人で電車に乗って英会話教室に通わされた。我ながら小さい割にしっかりしてたと思う。今の方が電車降り遅れたりしてる気がする。これが小4,5となり異動の日に近づくと週2,週3となり、学校で英語の授業があると*3、ドヤ顔でイカした発音で答えまくってた痛いヤツをやってた。そういう自分の痛さもあり軽いいじめにもあった。それを気の毒に思ったのか人生初の彼女(笑)が出来たりもした。付き合い始めて一週間もたたないうちに、親からイギリスへの移動を伝えられたときは、なんで今やねーーーーんと思ったことをかなり明確に覚えてる。

学校にも移動することを伝え、小五の夏の前の最後の集会で、サプライズでお別れ会を開いてもらった。ホワイトボードの表側に普通の集会の連絡事項、裏側に僕に対しての寄せ集めが書いてあって、集会の最後に先生がホワイトボードを回転したときにかなりびっくりした。なんか即興でスピーチをすることになり、彼女(笑)が泣きはじめ、なんか気まずくなって僕も泣き始めた覚えがある。この後、いじめの主犯格だった子が謝ってくれたりもした*4。連絡先とかいろいろ交換したが、結局この後連絡を取れたことはなかった。彼女(笑)含み。

そんなこんなで10歳5か月頃、成田空港で祖父母やいとこに送られながらロンドン行きのターミナルへ向かった。飛行機の上で映画グリーン・マイルを見て、結構えぐい話だな。。。となった覚えがある。

 

ここまで書いて、いやもうすでに長すぎ!!!もう朝4時半!!!になってるので、とりあえず今回はここまでで次回10歳以降編を書きたいと思います。このテーマであと記事2本ぐらいは行けそう?

*1:移住する前に結婚を間に合わせた、と言った方が正しいかもしれない

*2:一応父も出産の瞬間には間に合ったっぽい?

*3:当時ゆとり世代が終わりを迎えており、英語の授業などが普通の公立小学校でもちょっと始まってた

*4:余談だが、ここで特に先生に強制されたとかでもなく個人対個人だった時に謝ってくれたことが、今の僕の性善説の根底にあるとおもう

AHC001 参加記

こんにちは、ゆうです。この度はAtCoderの記念すべき初Ratedヒューリスティックコンテスト、AHC001に参加したので、何をやったか、何をやらなかったかを整理して、今後のAHCに向けてもっと強くなりたい、という気持ちから参加記を書いてます。

結果から言いますと、

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執筆時点で最終的なシステムテストが始まってないのですが、サンプルでは57位でした。個人的には十分に満足のいく順位なのですが、長期コンテストで時間をかなりつぎ込んだ結果なので、もっと素早くこの順位になれるようにしたいです。

やったこと、やってみたけど改善につながらなかったこと、やりたかったことの順で書いていきたいと思います。

 

何をやったか(時系列順):

初期:

  • それぞれの広告にとって必要な点を1ピクセルずつ与え、それぞれぶつからないように広げる。431億点=86%程度
  • 直感的に、箱詰めをするときに箱を振るともっとたくさんの物が入るなぁと思い、時間いっぱいまで、振る*1、広げる、を繰り返す。449億点
  • 広げるときにぶつかったらやめるのではなく、一つの広告だけが邪魔で、押し返したほうが得するときは押し返す。480億点
  • 広げる順番をランダムに変えていく。481億点

中盤:

  • 押し返すときに、一つの広告だけではなく複数押し返せるように書きなおし。485億点
  • 定数倍高速化のために1ずつ伸ばすのではなく、先に100伸ばせるか確認、次に10伸ばせるか確認、最後に1伸ばせるか確認、をする。広げるときに一定確率で、縦に広げたがるモードや横に広げたがるモードに突入するようにする。486億点
  • 定数倍高速化のために、一番最初に各点ごとにどの点が左右上下にあるかを保存し、例えば上方向に広げるときは上にある広告だけ確認する。487億
  • スコアが低い広告をランダムに数個選び、リセットし、広げ直してみて、改善するか山登り。487.9億
  • スコアが低い広告を選ぶのと、隣り合わせでぶつかってる広告ペアを選ぶのを交互にやる。490億
  • 隣り合わせのやつだけにして、広げる順番を工夫する(もっと広がりたがってた広告を先に広げる)。491億

終盤:

  • 山登り法を焼きなまし法に変える。491.9億
  • 焼きなまし法のパラメータガチャ+100,10,1伸ばせるか確認していたのをbase^2,base,1に変更して、baseをランダムに決定していく。492.7億
  • 最後に一回広げるときに、得する場合指定サイズを超過することを許す。最高点493.3億達成だけど、これは上振れで再提出してみると492.7のまま。
  • 押し返すだけではなく、つっかえて邪魔になっているものを時々そのまま別の広告に渡す。平均493.0 最終提出

やってみたけど改善につながらなかったこと

  • 衝突判定でほぼ全部の広告をいちいちなめているのが時間がかかっているので、各x、y値でどの広告の辺がそこにあるかを持つことによってO(logN)にする。実装してみたものの思いっきりスピードダウン。setの定数倍が。。。
  • 衝突判定で、例えばすでに右辺がx=5000である場合、200より右にある広告だけ確認するために、先に広告を順列にしておいて、5000より右はどこから見ればいいかを各x、yごとに保存する。 バグでWA。かなりデバグに時間を費やしたものの原因がわからずあきらめる。
  • 低い点数の広告の周りを重点的にリセットする。「低い点数」は動的に定義(最小スコアの広告と1の中間値より下、とか)なぜかスコア減少。原因がわからず。

やりたかったこと

  • 一つの広告が複数を押し返すのはやったんだけど、逆に一つの広告が複数の邪魔になっている(複数の広告の利益を足すと損失より大きいけど、各広告ごとには損失の方が大きい時)、押し返せるようにすること。初期からずっとやるつもりだったけど、実装が爆発しそうで断念。
  • 押し返すだけではなく、つっかえて邪魔になっているものを時々そのまま別の広告に渡す。最終的に少しやったけど、たまたま伸びの大きさが十分な時だけになっていて、つっかえた後を貪欲に確認するものを書きたかったが、実装爆発+時間切れ。

個人的な感想、反省

反省点としては、環境構築をサボった結果、100行程度しか出力できなくて、さらにAHC中はつまりがちだったAtCoderのコードテスト機能に頼りっぱなしだったことです。手元だと実行速度が違いすぎて無理だったので、AtCoderに近い実行環境を次回までに探しておきたいです。また、普段*2よりはちゃんとやったのですが、関数などを使い分けることにより、デバグをしやすくしないといけないと痛感しました*3。あと、普段よりいっそう定数倍の遅さが気になるコンテスト形式なので、言語をもうちょっとどうにかできないか、考えものでした。*4

Ratedということで今までのヒューリスティックコンテストよりたくさんの方々が参加して、すごく楽しかったです。特にツイッターでのライバルの方々とバトルしたり、長期コンテストだからこそ楽しめる駆け引き*5もありました。これからもバシバシ参加していきたい所存です。

 

*1:広告の形はそのまま、必要な点が入るようにランダムに座標を変える。他の広告とぶつかったら動かさない

*2:アルゴリズムコンテストの時

*3:何時間もコピペ元と先両方のデバグをする、という不毛な時間をかけました

*4:が、C++を勉強するのがめんどくさすぎるので、多分次回もpythonで出ます

*5:という名の煽りあい

AtCoder黄色になりました!

 

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こんにちは、ゆうです。先週のABC190でAtCoder黄色になったので、初めて色変記事なるものを書いてみようと思って画面に向かっています。再来週からARC*2やAGCが控えているので、そこで落ちたりする前に書いておこうという魂胆です。一貫としたストーリー性はありませんが、色変記事といえばこういう話題があるでしょ!というのを一通りやりたいです。

 

1:自己紹介

yuusanlondon.hatenablog.com

 

自己紹介記事に書いてあることと少し重複しますが、競プロと関係してくるところでざっくり言うと、

  • 修士1年(1年しかない修士)、数学科。
  • 競プロ前のアルゴリズム経験はほぼ0、プログラミングは大学の宿題でMatlabをいじった程度。
  • 高校2,3年のころは競技数学、競技科学が好きで(下手なりに)やってました(情報には手を出しませんでしたが)。

という感じです。競プロは去年4月に、コロナで大学が休学になったところで友人に誘われて始めました。

2.なにをやったか

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AtCoder Problemsの Diff別進捗円グラフ

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Rating-history のサイト別AC数

黄色になったのに黄色AC15、橙以上0はまずくないか。。?という気がします。これからは暖色Diffにも積極的に手を出していきたいです。

精進の方法:

AtCoderを時間無制限のゲームとしてとらえているので、レートを伸ばすために精進したい、という気持ちと、楽したい楽しくやりたい(ほとんど変わらないじゃん)という気持ち両方を成立させようとしています。すると、一番楽しくて効果的な精進は本番で、次にバチャ*1となるので、この二つをメインにやっていってます。後は解説ACについてですが、解けなかった問題でもう考えが出尽くしたけど、答えが知りたい、と感じるものは解説を読むのですが、解説ACは面倒でやっていません。なので、実際に読んだ問題は上の数より多いと思います。

3.学んだデータ構造・アルゴリズム

賢いデータ構造・アルゴリズムと出会い習得することが競プロの醍醐味だと思いますが、その習得フェーズをちゃんとやるのを面倒がってしまい、さらにデア解説をさらっと読むだけだと忘れてしまう記憶力なので、知っているデア(以下の「自分では書けないけど。。」まで)はほぼほぼ必要最小限だと思っています。*2まあさらに言うと、レートが1900ぐらいになったころから、「黄色になったら勉強しよう」と後回しにする理由ができてしまったので、今まで以上にサボってしまっていました。

(だいたい)使える:

  • 高校までの数学全般(√Nで因数分解、とかも含みます)
  • 全探査(bit全探査なども)
  • ポインター使ってえいや!するやつ(語彙力。。。)
  • ダイクストラ
  • 二分探索
  • 非再帰DFS(こどふぉで再帰を書くと詰みます)
  • BFS(あまり使わないしライブラリ化してるダイクストラをコピペしてちょっといじることが多いですが)
  • deque, heapq, dict, set
  • 累積和・imos法
  • DPという考え方(DP、奥が深くて「使える」とは多分一生言えないですが、「いらない情報を捨てて・圧縮して操作回数を減らす」、というアイデアは頭に入れてあります。またLCSとか*3の初等典型も知ってます)

自分では書けないけどライブラリを拝借してコピペしているもの。広義「使える」

  • Union-Find木
  • セグ木・BIT(遅延セグ木もついこの前こどふぉで初めて有志pythonACLからコピペしてみましたが、システスTLE落ちしました(´;ω;`)ウッ…)
  • 線形操作を行列に詰め込んで、繰り返し二乗法とかで速くする奴

解説を読んだことあって、用途は分かってるけどどうやってやるかは覚えてないもの

  • ベルマンフォード、ワーシャルフロイド、最小全域木
  • 尺取り法
  • トポロジカルソート
  • オイラーツアー(この前読んで、やり方も覚えているんですが、まだ書いてないし、再帰を使わずに書く方法をまだ研究してません)
  • LCA
  • 3分探索

名前を聞いたことあるけど用途は知らない

  • フロー、最大流(多分これが次に覚えないといけないやつだという印象です)
  • 形式的冪級数、FPS(Call of Duty?)
  • FFT
  • 座圧(重たそう。。。)
  • Z-アルゴリズム
  • Mo'sアルゴリズム (バーテンダーが発明したアルゴリズムみたいな名前してますね)
  • ローリングハッシュ(ロリハ、語感は好きです)
  • 2-SAT

4.言語について

僕は✞Pythonista✞を名乗っていますが、pythonという言語自体についてはあまり詳しくありません(他の言語はもっと詳しくありません)。でも、こういう言語への理解が薄い人でも使える、「直感的にやってほしいこと」をだいたいやってくれるという面でやっぱりpythonをお勧めしてます。というのは、この前実行時間対策にC++の勉強をしてみたのですが、もう難しくて難しくて。。。灰Diffも自由に解けませんでした。挙動が謎ですし、エラーの時の説明文もpythonのほうがよっぽどわかりやすく感じます。おーばーふろー?とかも気にしなくていいし、型も定義しなくていいし、セミコロンいちいち打たすとかいう意味不明なことさせられないですし。。。こんな難しい言語を初心者にお勧めしている人たちはなかなか鬼畜ですねぇ(煽り)*4

pythonはC++に若干*5速度は劣りますが、最近のAtCoderは想定解がpypyで通る*6ような設計を目指しているらしい*7ので、まあまあ*8安心*9できます*10*11

というわけで皆さんもぜひぜひpythonを使いましょう!

5.メンタルについて

以下書くことは、あくまで自分はこう考えてる、というものです。

競プロを長期的なレートや実力を競うゲームだととらえると、個人的にはかなりメンタルへ影響を減らすことができると思っています。人生の残り時間は無限にあるので*12、例えば6か月停滞しても、残り時間

無限-6か月=無限で全然セーフです(は?)

就職などに競プロを使おうとする場合はこの作戦じゃちょっとダメかも。。。

6.これからについて

当然、次は橙色*13を目指します!!!と言いたいところですが、いや、橙以上ACが一個もない人が言えるわけないです。現在アットコーダーアクティブユーザー内1178位なので、1000位を目指したいかな、とか思ってます。まあもちろん達成する前に青に何回かなることは覚悟しています。あくまで長期的にゆっくりでいいから上っていきたいです。

最後まで読んでくださりありがとうございました!いつかまた色変記事が書けるといいな、と思ってます。*14

*1:バーチャルコンテストと言って、Twitterなどで参加者を集めて過去の問題集を一緒にやったりするもの。主催者の方々に感謝です!

*2:競技数学ガチ勢とかデータ構造、アルゴリズムのセンスがある人ならこれ未満でも黄色になれると思いますが、その場合ABCはほとんど出ないでARCやAGCで激むず数学問などを解いてなる、という方が多いような気がします。

*3:とか、って言ってるけどほかに例が思い浮かばないのですが

*4:ごめんなさいごめんなさいごめんなさい

*5:若干とは 検索

*6:かもしれない

*7:訳:という噂を大昔に聞いたかもしれない

*8:まあまあって言葉便利ですよねーこれで僕の責任はゼロ!

*9:嘘です。こどふぉのシステスをC++erの百倍恐れています

*10:想定解以外のもっと簡単な解法がC++だけ通る、とかはあります。

*11:あとこどふぉは普通にpython虐殺してきます

*12:人生残り時間無限は多分偽ですが、50年とかまあほぼ無限でしょ(数学科としてあるまじき発言)。この点、社会人の方や、また40代や50代の方でもやっている方がいらっしゃるのはすごく安心できます

*13:はてなブログの文字色で一番近かったのがこれなんですが。。。

*14:再来週のARCでレートを8失えば。。。?

アファーマティブアクションの擁護

こんにちは、今日はツイッターのTLにてアファーマティブアクションの話が出て、賛否両論出ていたので僕も一石投じようと思い立ち、記事を書くに至ります。結論から言うと、僕はある程度のアファーマティブアクションは擁護する派です。自分の体験も交えながら理由を書かせていただきますので、かなり主観が入るものとなります、申し訳ございません。

アファーマティブアクションとは

アファーマティブアクションとは弱者集団の不利な現状を、歴史的経緯や社会環境に鑑みた上で是正するための改善措置のこと、だそうです。(ウィキペディアより)。有名な例ですと、人種や出身校など個人の背景を考慮する大学入試が行われていたり、現時点で女性の参加者が比較的少ない競技科学で女性用の大会や賞を作ったり、などが挙げられます。

アファーマティブアクションの利点1。 不平等の解消:

これがアファーマティブアクションが語られる時に一番よく言われていることだと感じます。例えばイギリスの大学入試では、ほぼ同じ条件の二人の生徒が居て片方が私立校出身でもう片方が公立校出身である場合、公立校出身の方を合格とする、と言う事例が数多くあります(さらにいうとこれは大学が私立出身をたくさん合格出している、という世論が持つマイナスなイメージを払拭したい思惑が見えてきますね)。

ざっくりいうと、今までの環境が悪かったのだから、その不平等を是正するべき、公平にすべきだ。逆境のなか頑張って来たのだからより歓迎されてしかるべきだ、という考えです。僕はこの理屈に納得していますが、いろいろな方々と喋ると結構納得されてない方が多い印象も受けます。いろいろな反論があるかと思いますが、今まで個人的に言われたことのあるものを挙げていきます。

反論1: 何が「公平」か、という問いに根本的に違う直感を持っている

例えばここに一つしかない賞を取り合うAとBがいるとして、これは一つのゲームの一発勝負で決まることになっているとします。ここで、Aは事前準備を完璧にこなして当日ゲームで非常にいい戦いを見せたとします。一方Bは当日まで大会のスタッフのミスにより、違うゲームで競うと思っていて全く準備ができてない状態で臨み、案の定ボロ負けしたとします。この場合、一方、一発勝負の場で勝った、Aの勝利とするのも公平に感じられますが、一方Bが練習できなかったのは一切Bの責任ではなく、後日リマッチということにするのも公平に感じられます。こういうなにが「公平」かというもっぱら直感に基づく議論をする上で、根本的にこの直感に違いが有れば、結論が違ってくるのも納得がいきます。

反論2: そもそもの状況が(それほど)不平等だと思っていない

これは特に歴史的経緯によるものを鑑みたアファーマティブアクションを行うときに指摘されがちです。例えば、上記の例でBがかわいそうだ、助けて然るべきだ、と思う人でも、例えばB自身が騙されたのではなく、一世代前にBの親が騙された、とかだったら関係ないじゃん、となる方が多いと思います。実際この例では全く関係ないですね。不平等は起こってないように見えます。ただ、ここでBの親が勝てなかったからBは協会による支援、特訓を受けることができず、一方Aは親が前チャンピョンなので受けることができた、という場合どうでしょう。不平等と感じるかと思われます。ではなにが問題点なのかというと、現実世界では過去の明確な不平等が現代にどれだけ影響を及ぼしているのか、という問題が複雑すぎて答えようがない、というものだと思います。例えばアメリカですと百年以上前に行われた奴隷制や五十年前まで行われていた差別的な法律が今現在どの程度人種間不平等の原因となってるか、という問題は難しすぎて、まるで全く関係がないかのような論説も一部の界隈ではまかり通ってしまいます。すると上の利点はそもそも存在しない問題を解決しようとしているので利点になってない、という反論に結びつきます。

反論3: 不平等はどこにでも存在する。共産主義にでもなりたいのか?

金銭的な不平等と機会の不平等を結びつけているため跳躍があるように感じますが、「残念だけど不平等は存在するし、資本主義の下ではある程度必要なまであるから、逆境にでもなんにでも立ち向かうべきだ」という主張もあります。不平等はよくあることなのでそこまでして直すべきものでもない、という反論ですね。

 

反論4: 実際先天的な差があるのだから不平等があって当然だ。

これは単なる差別なので、まともに受ける気にもなれない反論ですが、残念ながら性別、オリエンテーション、人種などで大真面目に主張される方もまだいます。一時代前よりはだいぶ減ったかとは思いますが。。。

 

以上色々と反論があります。ただ、これらの反論に破られない第二の利点があり、そのため僕はこちらの利点の方を強く主張することが多いです。

 

アファーマティブアクションの利点2。 多様性の推進:

アファーマティブアクションとは、社会的弱者、つまりアファーマティブアクションなしでは圧倒的に少数や0になるところをちょっとでも増やそう、という活動でもあると言えます。そしてこれによって得られる多様性は、そのまま経験の多様性となるため、出てくるアイデアの多様性と柔軟性となり、これはその組織の強みになります。代表的なもので言うと、例えば現時点比較的少ないので内閣にあえて女性を登用することとかが挙げられます。人種などでも、学校や競技科学や一般的な会社などのセッティングでも然りです。

根本的に「不平等を減らすべきだ」という理念的な利点1と違い、この利点はかなり実務的な物なので普遍性が高く、さらに証拠を示しやすいです。もちろんこれは完璧な理屈ではなく反論はあります。

反論1: 多様性がいいとは限らない。一様の方が歯車が噛み合って効率がいいのではないか

もちろん、一様の方がいいこともあるでしょう。軍隊の一般兵などは右にならえで動く必要性があります。しかし、ほとんどの組織で、多様性の方が強いという研究成果が出ています。

例えば、様々な人種の方が共著した論文の方が影響力が出やすいという研究結果があったり(https://www.researchgate.net/publication/265791665_Collaboration_Strength_in_diversity)

多様な手法を使うビジネスは一つの戦略に特化するビジネスより競争に強いという結果があったり(https://link.springer.com/article/10.1057/s41270-019-00064-5)

まあ、いくらでも出てきます。

反論2: そもそもアファーマティブアクションは多様性に繋がるのか?

大臣の登用だったり企業の採用でのアファーマティブアクションは明らかに繋がりますが、例えば競技科学での女子大会などは多様性を推進してると言えるのでしょうか?少なくともその大会は極めて多様ではないです。しかし、これもしっかり学部選択の段階での多様性に貢献しています。女子の競技数学から入り、数学科に進学を決めた、という方も居ますし、その大会などで会った先輩がロールモデルになった、という方も居ます。

 

さいごに

ここまで読んでいただきありがとうございます。上では扱ってない利点や反論などもたくさんありますし、僕が考えた/聞いたこともない論点も沢山あるでしょう。でも、多分自分はこの多様性推進の利点を信じ続けるでしょう。なぜなら上では実務的な利点を強調しましたが、僕個人にとって一番大きな利点は多様な人たちと関わっていって色々な話を聞けたら超面白いじゃん!というめちゃくちゃ自己中な感情論に基づく物だからです。ではまた。