「僕は日本人です」とは 大学+その後編

この記事は「僕は日本人です」とは 中高編 - yuusanlondon’s blog (hatenablog.com) の続きとして書いてる。

この記事でこのシリーズは24歳現状最後になる予定だが、前2記事に対して面白かったという声を多く頂き、非常にうれしかった。ラスト6年について一気に書いていく。*1

大学+院生(18歳ー22歳)

中高パートと同じように、そもそも大学・院の定義からむずい。イギリスの大学は学部は3年で卒業でき、修士は1年で取得できるのだが、弊学数学科含み多くの大学・学科では修士までやる人は学部は厳密には卒業せずに、そのまま4年目をやり、そこで卒業して、学士修士両方もらう、というやり方を取っているためだ*2。僕の最終的な学位も"BA & MMath"なのだが、これは"BA"と"MMath"という二つの学位ではなくて、"BA &(<これは特に意味を持たない単なる&記号です笑)MMath"という一つの学位らしい*3。まあ、修士に入ってなんかすごく変わった点などはなかったので、一つのパートとして書いていく。*4

大学では、特に数学科生が多い寮に入った(40人*5以上)。一クラス分ぐらいいることになるので、一番つるむのはほとんど弊寮数学科の人になった。もともと合宿の人たちとつるむのが好きだった自分は、各学期が短いこと*6、全寮制だったこと、元合宿参加者の顔ぶれが多かったこと、出される宿題がクソ難しいこと*7などから、各学期を合宿としてとらえることができ、非常に楽しめた。

合宿と違う点と言えば、留学生の多さだった。特に、韓国人ABCたちやスウェーデン人Wなどとかなり仲良くなった。自分の学年では弊寮全教科で日本人は僕一人だったのに対し、韓国人は認識してるだけで5人いて*8、かつ日本オタク度高めでオタクトークの相手に最適だった。この留学生たちとも仲良くさせてもらったし、元イギリス数オリ勢の端くれとしてイギリス勢の集まりにも準レギュラーとして呼ばれ、弊寮数学科という広いのか狭いのかよくわからない*9世界での交流をかなり楽しんだ。日本からの留学生の少なさに悲しみを覚えた僕は、日本の高校生に短期留学に来てもらい、大学での長期留学を進めるプログラムなどでボランティアしたりした*10

弊学全体の日本人で言うと、もう少し複雑だった。まず、日英会という、日本人*11率が50%弱で、日本文化発信や関連イベントを開催していたサークルっぽい組織があった。ここでは、唯一同学年の数学科で僕以外で*12日本人だった、日英ハーフのLさんとよく話すようになり、時折夕飯を一緒に食べるようになった。彼女は日本国籍は持っておらず、日本に住んだことはなく、日本語もほとんど話せず*13、日本人だという自覚はあるか聞くと、「うーん、少しだけ?」という感じだった。だが、日本式の炊飯器を持ち込み自炊してたし、誕生日会では日本式カツカレーをふるまっていたし、日英会のイベントにも大体出ていた。一度日本人のお母さんにお会いしたことがあるのだが、Lの食生活はこの方から来ているのか、と思うとなんかよくわからないけど納得した*14

日英会の内部には、非公式に日本人*15がおよそ95%ぐらいの集まりがあった。この集まりに呼ばれる条件は日本語が普通に話せることで、会話は基本的に日本語で行われた。僕が入学したころは、この会は二年上の、これまた数学科のこれまた日英ハーフの先輩が仕切っていた*16。ただ、日本に住んだことはないはずなのだが、日本語は普通にしゃべってたし、静岡に住むおばあちゃんの話をよくしてたし、自認は「日本人だしイギリス人だし日英ハーフだよ*17」と言っていたし、パスポートは日本もイギリスも両方持っていた。制度上日本の国籍を持っていると大人になるまで*18に選択しないといけないのだが、本人は「まあ、それは努力義務だからね!」と言い放った*19*20この先輩とLさんとの対比はかなり印象に残った。

さらに、この中で僕の学年で自認が100%日本人な人が(少なくとも)6人いた。このうち3人は各国滞在のち高校は日本のインターを出ており、2人は幼少期からイギリスで、1人は生まれからイギリスという具合で、この6人でよく遊んだ。そのうち一人と付き合ったりした*21。ほぼ同時期に6人の中でもう一カップルできて、ダブルデートに行ったりもした。*22*23。6人の中から2対もできたことから、お互い相手が日本人であることは相当な重みをもっていたと思って間違いなさそうな大学生の恋愛事情だった*24

このように、ますます多様な日本人の在り方、「日本人さ」の幅を目の当たりにした僕は、より日本人であるためには、日本の歴史、文化、サブカルにより詳しくなり、とりわけ文化、サブカルにおいては布教をすることだと考え邁進した。アニメを見て布教し*25、ボカロ曲を聴き始め布教し*26、弊寮日本麻雀+将棋ソサエティーを立ち上げ秘書になり*27*28、ちょうど流行りだしたVTuberの配信を見て*29、ハイパージャパンというロンドンの日本サブカルイベントで設営・運営バイトをした*30

ある春休み、前述のスウェーデン人Wを訪ね、ストックホルムに韓国人Aと旅行に行った。Wの実家は、ストックホルム中心部からフェリーで20分ほどの離島の、さらに奥の方にあった。その京都から非常に遠い家には、SNES*31、GC*32、Wii、WiiU、Switchがあり、僕はWがぷよぷよとワリオの森が異常に強い理由を察すると同時に、こんなところにまでハードが届く任天堂のリーチの広さに感銘を受けた。

本業である勉強はというと、難しいながらも、合宿気分がだいぶ抜けなかった自分にはすごく楽しかった。イギリスの大学は原則単科なので、数学さえやっていればよく、さらに数学科同士での会話でも問題の話がしょっちゅうだった。また、二対一の授業も多くあり、数学の知識もセンスも莫大な教官達の時間をかなり割いてもらうことには非常に大きな価値も感じた。が、周りとの実力差は歴然*33で、僕は院進することはできてもD進は難しい、できたとしてもその後のポストは絶対に見つからないと考えるようになった*34

その結果、学部二年目の終わりの夏にインターンに行くことにした*35。「未歓迎勧誘!」を売りに、弊学数学科から多く採用していたIT企業のインターンに行き*36。このインターンでは、未歓迎勧誘に嘘はなく、コンピューター経験ほぼゼロだった僕に、ターミナルとは何か、cd、lsなどなどから教えてくれ、コーディング経験ほぼゼロの僕でもエスパーしてコピペコードでどうにか間に合わせることができた。会社の雰囲気はイギリスでも緩い方で、数学科卒が多いことから社員の気質も似ており、仕事は最終プロダクトにはそんなに興味なかったが、日ごろの業務自体は非常に難しく面白かった。2年目の大学の成績が芳しくなく、いよいよD進の目が少なくなっていた僕は僕にしては真面目にインターンに取り組み、結果内定をもらった*37。できたら院進するつもりであることを伝えると、その次の年にもう一年インターンをすることを条件に内定も延長していいとのことだった。まあそんな感じでうっすらエンジニアになるのかな~という気持ちを持ちながら学部最終学年に突入した。

2019年冬、学部最終学年(3年)に突入し、とりあえず院には進まないと、と思い勉強をまじめにした。が、数か月後コロナが流行して大学がリモート制になった*38。本来院進を決めるはずだった学部卒業*39試験もキャンセルされ、なんか2年目までの成績でギリギリ院進が認められた。実家に追い返され、暇を感じていたころに、2020年4月ごろ、W氏から競プロを勧められた*40。エンジニアになる可能性が高そうな中、コーディング経験は引き続き実質ゼロみたいな感じだった自分にはもってこいだと感じ参加してみた*41。Wはなんか競プロが強い(AtCoder赤)らしいという話は前から知っていたが、いざ始めてみると、このAtCoder赤というのは本当に強いということが実感できた*42*43。開始直後にツイッターアカウントを作り、コロナの影響でちょうど同じ時期に始めた人が多かったのもあり、界隈での交流もありがたいことに非常に楽しくできた*44。また、日本の平均的かそれ以上な理系学生ともある程度やりあえてるな、という実感は、この期に及んでまだぬぐい切れてなかった「日本だと数理系センス平均未満かもしれない。。。」という最後の疑念を晴らしてくれて自信につながった。今でも週末競プロerにはなってしまったものの、TLのおかげさまで引き続き楽しく参加させていただいている。

そろそろ本格的に就職をどうするか考えないといけなくなった僕は、腕試し半分で日本の会社を一社だけ受けてみた。興味のある業界の企業で、ロンドンキャリアフォーラムという日本企業*45がたくさん採用に来る会*46に出ていたので、海外大卒の人を欲してそうな雰囲気を感じた。もともと最終製品に興味があったのもあり無事面接*47を突破でき内定をもらった。独身寮がある会社で、問題なく日本で生活できそうではあった。

夏は去年と同じ会社で今度はリモートでインターンをやり、約束通り内定が延長された。ちょうど同時期に、内定先の企業が買収され、そのまま内定が買収元の内定に変身した。買収されたのちも、数年のうちはとくに大きな異動もなさそうで、非常に良かったあの社風もしばらくは継続しそうだと感じた。この時点で、イギリスで就職するならそのままここに行きたいと考えた*48

ここで、人生で初めて完全に僕個人の責任となる*49、進路の選択が生じた。かなり苦心した。かなりたくさん要素があるので並べていく。

まず圧倒的に一番大きな要素が、「日本の企業に就職すると晴れて日本に帰国できる」、という点だった。さらに正確に言うと、「日本に帰って就職して普通に生活できる手口があるのに、それを棄てる、ということは許されるのか?」という自問だった。いままではかろうじて、いや、日本人だけど親の都合でこっちに住む感じになっちゃってさ~が許されていたが*50、今後は当然それが許されない。日本人として、帰る機会を自ら放棄するということに対しては人生で一番大きな罪悪感を感じた*51。もちろん、日本に帰るとご飯がおいしいとかそういうポジティブな面もあった。

だいぶ差が開いて、次に大きな要素は、「今更日本の企業でやっていける自信がない」だった。まず小学五年生から国語も社会の授業も受けてない僕は、礼儀がなってないし常識にかけている部分も多いだろう。さらに、一般的に日本企業の方が全体的に厳しい傾向があると聞く。10年間以上ぬるま湯につかったままだった僕はいきなり大やけどを負うリスクが高いと考えた。そして、パスポートが日本である以上、いつでも日本には帰れるが、やけどしたからと言って英国に戻るのは容易じゃない可能性があった*52

さらに、「インターンで行った企業の社風は知っており、さらにほぼ最高だったが、日本の会社の社風に合うかは完全に未知数」という点があった。インターンとかいう払う給料分の働きは到底見込めない慈善事業をやる、企業側の理由が分かった。いざ就活生になると、社風を中から知っていることに関する安心感は非常に大きかった。インターン業務自体も面白かったのだが、日本の会社の方は総合職で、面白いと感じるか未知数だった*53

そこから比較的小さめな理由として、友人はほとんど全員イギリスにいること*54、待遇はイギリスの方がいいこと*55、相談したところ親も友達も全員イギリスでの就職を勧めたことなどがあった*56

こんなわけで、圧倒的に大きな「日本に帰国できる」という一つ利点以外どう考えても残った方がいいという感じだったが、それでも心の中ではだいぶ拮抗していて保留し続け、家族にもしびれを切らされていた。最終的な決め手になったのは、「買収元の企業には日本支社がある。数年後日本へ帰国するときに、社内異動という可能性がある」という気づきだった。とりあえずインターン先(の買収元)に就職しておいて、数年で転職なり社内異動なりで帰国、というプランに現実味を感じた僕は、イギリスでの就職を決断した。*57これに関してはかなりの責任と罪悪感を感じているが、正しかったかどうかは24歳現在ではまだわからない。

そういうわけでソフトウェアエンジニア(開発職)としての就職が決まった僕は、数学と同じぐらい競プロをやりながら修士の一年間を過ごした。D進するために数学の勉強を増やす人も多い中、ますます実力の差が開いたが、どうにか卒業にこぎつけた*58

なお、上記の僕を除いた5人の日本人の内、3人は日本に帰って就職し*59、1人は消息を知らず、最後の一人はイギリスで就職した*60

その後(22歳ー24歳現在)

社会人となった僕は、弊寮数学科同期のイギリス人*2と同居を始めた*61。競プロerとの交流も増え、定時退社後はツイッタースペースやディスコードでだべるのが日常になった。夏に一時帰国した際などは、たくさんの方に会っていただき、非常に楽しく過ごさせていただいた*62

一記事に一回登場するきまりらしいX君にもまた会った。彼は大学生序盤の頃は、アジアの方や世界で仕事がしたいと言っており、シンガポール就職などを考えているようだった。がイギリスで彼女ができ、離れることは難しいのでイギリスで就職先を探すことにしたらしい。もし僕もイギリスで彼女が出来たら帰りづらくなるのか、だいぶ嫌だな、などぼんやり考えたりした。

会社はというと、期待を裏切らず、「日本じゃない」ということ以外すべてにおいて最善だ*63。今のところ買収により社風もといオフィス風がそこまで変わったということはなく、インターンの時には僕にcdやlsを教えてくれた元メンター*64とポーカーやチェスや将棋や象棋をしたりしている。

日本支社の同期が全世界のチャンネルに投稿しているのを見つけたので、声をかけ、一時帰国中に日本支社を見学させてもらい、弊チームでどういうことをやってるかのトークをしたりして、数人とツイッター交換したりした*65*66。入社早々上司に日本へいずれ移転したい気持ちがあることを伝えると、理解を示してくれた*67。今年の10月には応用情報技術者試験を受けに有休をとり日本に行くのだが*68、会社の時間でその対策をすることを認められたため、オフィス、いやおそらく全英で唯一「うかる!応用情報技術者テキスト&問題集2023年」を読みながらうなっている人をやっている。

まとめ

このシリーズでは、「日本人」とは何かという疑問に焦点を当て、半生を綴った。すでにだいぶ長い時間をこの疑問にかけた僕も、完全な答えには達していないが*69、X君、R君、Y先輩、L氏、大学の先輩などからはっきりと言えることが、一つある。

「日本人」である、というものは、必ずしも人種、生まれた場所、住んだ場所、話せる言語、家庭環境、国籍など一つの要素で決まるものではない。

このうちどれ一つを基準として選んでも、明らかに「日本人」である人を除外することになったり、明らかに「日本人」ではない人を含むことになったりする*70。結局のところ人のアイデンティティーは多角的なものから決まるものであり、他人がそれを判断する場合には相当に慎重にならないといけない。

法的には国籍が当然重きをもつわけだが、個人としての付き合いでは、日本人だという自認が強い人を上記の分かりやすい基準一つを取って簡単に否定してほしくない。限度はある。人種も生まれた場所も住んだ場所も言語も家庭環境も国籍もすべて日本と関係ない人は日本人とは言えないだろう。が、このうちどれか一つが欠けているからと言って、本人の意に反して外国人扱いするのはどうかやめてほしい。それは、その人の残りの日本人らしさをすべて否定することになる。基本的に、個人の付き合いでは、相手が自認するアイデンティティーを理解*71できることが最善だと思うし、僕もそれを目指していきたいと思う。が、僕はより日本人であるため可及的速やかな本帰国も目指す*72

終わりに

3部にもなる長々とした自分語りにお付き合いいただき、本当にありがとうございました。なんかオチのない半生記になってしまい恐縮ですが、現在進行形の話なので、お許しください。たくさんの暖かい感想をいただけてうれしかったです。もし質問とか感想があれば、DMでもリプでも質問箱でも適当に投げつけてください!では。

*1:ちなみに書くの二回目:https://twitter.com/yuusanlondon/status/1688425146879545344?s=20

*2:こういうシステムになっているのは学費上の都合がある。イギリスの政府は国内生に対しては学位を持ってないことを条件に学費の上限を定めているので、卒業せずに修士まで取った方がお得なのだ。

*3:一説による

*4:後述する日本の就活の登録フォームとかでは、短大卒、4年制大学卒の次に修士卒、みたいに書いてあることが多いが、4年制大学行ってないんだけどね~と思いながら修士卒をクリックしてる。若干ずるいかもしれない。

*5:寮内では、数学科が一番多かったし、数学科の中では弊寮が一番人数が多かった。

*6:8週間程度

*7:僕の数倍頭のいい人でも、だいたい数問は解かずに提出することが多かった

*8:ついでに全員かなり優秀だった

*9:いや、狭いか

*10:別々のプログラムで5回ほど。参加者で長期留学をした人などもいるらしく、大変うれしい話

*11:少なくとも部分的にそう自認していた人

*12:自称部分的に

*13:若干聞き取ることはできるらしい

*14:当のL氏は、「あ、君たちなら日本語で話せるじゃん、なんかCoolだね!Hahaha」とかなんとか言ってた

*15:少なくとも部分的にそう自認していた人

*16:なんならたしかLさんと同じ寮だった。

*17:ただしこの場は日本人として来てるよ!

*18:満22歳

*19:努力義務とは一体なんなんだろうか(哲学)

*20:余談になるが、人生柄日英ハーフの人とは男女合わせて30人ぐらいは会ったことがあると思うのだが、今のところ全員日本人は母親側で、髪の色は茶色か黒く、目は茶色かった。漫画とかでなぜか多い、日本人が父で金髪碧眼な日英ハーフと会うことはあるんだろうか

*21:彼女がのちの。。。元カノである(´;ω;`) 

*22:そしてほぼ同時期に別れた。もう片方をみて付き合いだした、もう片方を見て別れた的な力が働いていた可能性も否めない

*23:なお、この破局*2とかいう地獄イベントののち、この6人で集まることは全くなくなってしまった。少人数の遊びグループの内から付き合いだすのは悪策だよ、と付き合う前から忠告していた韓国人Aには頭が上がらない

*24:僕はというと、相手の選択肢が十分狭い3人の内からでなら僕でさえ選ばれる可能性があるという個人的に非常に有益な学びを得た。なおそれを活かせているかというと。。。

*25:というより韓国人たちに布教された。ある晩、韓国人B,Cに部屋に監禁され映画版まどマギを全編見せられたこともあったりした。

*26:これまた韓国人たち(主にA,B)に布教された気が。。。

*27:なお実際に立ち上げ部長になり全部やっていたのは韓国人B

*28:あれ、僕なんもやってなくない?

*29:これは、ホロライブ5期生の前の時代の話で、言語の壁は厚く布教が非常に難しかった。ホロライブENみたいな組織があればいいのにな~と日々思っていた。実現して大成功してくれたカバーとえにからに感謝。実際、5期生が海外で流行りだした後に日英会で会った日本語がかなりしゃべれる香港人の友人は、彼のユーチューブの推奨動画にしぐれうい先生の動画があるのを見つけそこから話を広げだいぶ仲良くなった。

*30:これはだいぶ肉体労働で、鉄のフェンスってこんなに重いのか。。。と衝撃を(主に肩に)受けた覚えがある

*31:欧米版スーファミ

*32:部屋に入った時Wの弟君はゼルダのトワプリをやっていた

*33:たまたま周りが学内でもかなり上位で強かったというのもある

*34:D進したのち社会人、というルートもよくあるのだが、僕の実力ではこれもかなりのリスクを伴うと考えた。

*35:学部が3年で終わるイギリスでは、2年の終わりの夏にインターンもしくはリサーチプロジェクトに行くのが主流だ。早い人は一年でも

*36:この会社は2社目で、その頃インターン一社目に落ちたり、失恋したり、もう一方のカップルの別れ話に振り回されたりしてて相当落ち込んでた僕に、韓国人Bが勧めてきた(ちなみに彼は僕と同じ一社目を受けて受かっていた)

*37:韓国人Bには昼飯を奢った

*38:閉校になる前の学期に、なんか武漢で流行ってるらしいウイルスの再生数を計算してみよう!みたいなのが講義であったのを覚えている。たしか4とかだった。

*39:卒業はしない

*40:たしか、コドフォで雀魂がテーマだった回で、普段から麻雀をよく打ってた我々に勧めるのに最適だと感じたのかもしれない

*41:なんか2問ぐらい解けた気がする

*42:まあ彼は数学もかなり強いしそれはそうという感じではあるが

*43:のちに、韓国人Bに今度は僕が競プロを布教したのだが、彼も最近赤になった。改めて大学時代異常な環境にいたんだな。。。と感じる

*44:学内の日本人たちとつるむのが一年前からなくなってしまったのもあり、日本人との交流に飢えていた

*45:外資の日本支社も含む

*46:もともとはボストンキャリアフォーラムという非常に大きなイベントがあり、これはヨーロッパからボストンまで寝泊まりで行く人も結構いるぐらいには有名なのだが、それの派生が割と最近ロンドンにでき、便利になった

*47:普段ならロンキャリの会場でだが、この年はコロナで全部リモートだった

*48:新卒一括採用がない、イギリスの新卒就職のシステムが謎で何をすればいいのかよくわからなかったというのもある。いまだによくわかっていないが、同じようにインターンを経て就職というパターンは非常に多いように感じる

*49:と個人的には思っている

*50:これも、日本の大学に入るために帰国する人も多い中、イギリスの大学に入学した時点で怪しいが、科オリで忙しかった僕はそれどころではなった

*51:そして感じ続けている

*52:一応永住権を持ってる以上、数年に一度戻れば永住権はキープできるらしいが、ルールが不透明だし、内務省の一存・政策変更で取り上げられうるものだ。

*53:総合職じゃない技術職的な方でも内定ということになっていたが、この技術職で具体的に何をやるのかあまりよくわかっていなかった。

*54:別に新しく作ればいいと思っていた

*55:特にお金のかかる趣味もないので、必ずしも必要ではなかった。もちろんもらえるものはもらいますが(唐突な未来の転職先へのアピール)

*56:自分で決めないと絶対後悔すると思っていたので、あくまで参考程度に考えた

*57:イギリスでの就職の決め手が日本への帰国の可能性だったことは皮肉

*58:学年末の一発試験で成績が全部決まるのだが、いい成績を取るためには天才じゃなくちゃいけないが、凡でもちゃんと一定の努力をすれば卒業はできるようになってる良心設計な修士卒業試験だった

*59:ロンキャリで内定を得ていた

*60:この前誕生日会に行ったのだが、なんとか元気そうだ

*61:実家からも通えるのだが、窮屈に感じそうだった

*62:結果コロナにかかり、非常に大きな迷惑をかけたことは猛省

*63:いや、給料はいくら増えても困りませんけどね、チラチラ

*64:香港人とイギリス人のハーフ。なんかパスポートは中国と香港とイギリスとなぜかカナダのまで持ってるらしい

*65:日本支社の同期君みてる~?

*66:最近逆にイギリスオフィスに来てくれ、そこで日本支社でなにをしてるか話してもらった

*67:実は異動などで上司3人いたのだが、全員理解を示してくれた

*68:これも、日本でいずれ転職することを考えて、だ

*69:おそらく一生達さないが

*70:ここでいう明らか、は直感的に明らかの意で、「この人は日本人じゃないと本当に本人の前で言えますか?おかしいですよね?」という例が存在する、という意味

*71:なぜそう思っているのか理解する、という意味で、よくわからんけど受容するだけという意味ではない

*72:はい、いいこと言ってた感が台無し