アファーマティブアクションの擁護

こんにちは、今日はツイッターのTLにてアファーマティブアクションの話が出て、賛否両論出ていたので僕も一石投じようと思い立ち、記事を書くに至ります。結論から言うと、僕はある程度のアファーマティブアクションは擁護する派です。自分の体験も交えながら理由を書かせていただきますので、かなり主観が入るものとなります、申し訳ございません。

アファーマティブアクションとは

アファーマティブアクションとは弱者集団の不利な現状を、歴史的経緯や社会環境に鑑みた上で是正するための改善措置のこと、だそうです。(ウィキペディアより)。有名な例ですと、人種や出身校など個人の背景を考慮する大学入試が行われていたり、現時点で女性の参加者が比較的少ない競技科学で女性用の大会や賞を作ったり、などが挙げられます。

アファーマティブアクションの利点1。 不平等の解消:

これがアファーマティブアクションが語られる時に一番よく言われていることだと感じます。例えばイギリスの大学入試では、ほぼ同じ条件の二人の生徒が居て片方が私立校出身でもう片方が公立校出身である場合、公立校出身の方を合格とする、と言う事例が数多くあります(さらにいうとこれは大学が私立出身をたくさん合格出している、という世論が持つマイナスなイメージを払拭したい思惑が見えてきますね)。

ざっくりいうと、今までの環境が悪かったのだから、その不平等を是正するべき、公平にすべきだ。逆境のなか頑張って来たのだからより歓迎されてしかるべきだ、という考えです。僕はこの理屈に納得していますが、いろいろな方々と喋ると結構納得されてない方が多い印象も受けます。いろいろな反論があるかと思いますが、今まで個人的に言われたことのあるものを挙げていきます。

反論1: 何が「公平」か、という問いに根本的に違う直感を持っている

例えばここに一つしかない賞を取り合うAとBがいるとして、これは一つのゲームの一発勝負で決まることになっているとします。ここで、Aは事前準備を完璧にこなして当日ゲームで非常にいい戦いを見せたとします。一方Bは当日まで大会のスタッフのミスにより、違うゲームで競うと思っていて全く準備ができてない状態で臨み、案の定ボロ負けしたとします。この場合、一方、一発勝負の場で勝った、Aの勝利とするのも公平に感じられますが、一方Bが練習できなかったのは一切Bの責任ではなく、後日リマッチということにするのも公平に感じられます。こういうなにが「公平」かというもっぱら直感に基づく議論をする上で、根本的にこの直感に違いが有れば、結論が違ってくるのも納得がいきます。

反論2: そもそもの状況が(それほど)不平等だと思っていない

これは特に歴史的経緯によるものを鑑みたアファーマティブアクションを行うときに指摘されがちです。例えば、上記の例でBがかわいそうだ、助けて然るべきだ、と思う人でも、例えばB自身が騙されたのではなく、一世代前にBの親が騙された、とかだったら関係ないじゃん、となる方が多いと思います。実際この例では全く関係ないですね。不平等は起こってないように見えます。ただ、ここでBの親が勝てなかったからBは協会による支援、特訓を受けることができず、一方Aは親が前チャンピョンなので受けることができた、という場合どうでしょう。不平等と感じるかと思われます。ではなにが問題点なのかというと、現実世界では過去の明確な不平等が現代にどれだけ影響を及ぼしているのか、という問題が複雑すぎて答えようがない、というものだと思います。例えばアメリカですと百年以上前に行われた奴隷制や五十年前まで行われていた差別的な法律が今現在どの程度人種間不平等の原因となってるか、という問題は難しすぎて、まるで全く関係がないかのような論説も一部の界隈ではまかり通ってしまいます。すると上の利点はそもそも存在しない問題を解決しようとしているので利点になってない、という反論に結びつきます。

反論3: 不平等はどこにでも存在する。共産主義にでもなりたいのか?

金銭的な不平等と機会の不平等を結びつけているため跳躍があるように感じますが、「残念だけど不平等は存在するし、資本主義の下ではある程度必要なまであるから、逆境にでもなんにでも立ち向かうべきだ」という主張もあります。不平等はよくあることなのでそこまでして直すべきものでもない、という反論ですね。

 

反論4: 実際先天的な差があるのだから不平等があって当然だ。

これは単なる差別なので、まともに受ける気にもなれない反論ですが、残念ながら性別、オリエンテーション、人種などで大真面目に主張される方もまだいます。一時代前よりはだいぶ減ったかとは思いますが。。。

 

以上色々と反論があります。ただ、これらの反論に破られない第二の利点があり、そのため僕はこちらの利点の方を強く主張することが多いです。

 

アファーマティブアクションの利点2。 多様性の推進:

アファーマティブアクションとは、社会的弱者、つまりアファーマティブアクションなしでは圧倒的に少数や0になるところをちょっとでも増やそう、という活動でもあると言えます。そしてこれによって得られる多様性は、そのまま経験の多様性となるため、出てくるアイデアの多様性と柔軟性となり、これはその組織の強みになります。代表的なもので言うと、例えば現時点比較的少ないので内閣にあえて女性を登用することとかが挙げられます。人種などでも、学校や競技科学や一般的な会社などのセッティングでも然りです。

根本的に「不平等を減らすべきだ」という理念的な利点1と違い、この利点はかなり実務的な物なので普遍性が高く、さらに証拠を示しやすいです。もちろんこれは完璧な理屈ではなく反論はあります。

反論1: 多様性がいいとは限らない。一様の方が歯車が噛み合って効率がいいのではないか

もちろん、一様の方がいいこともあるでしょう。軍隊の一般兵などは右にならえで動く必要性があります。しかし、ほとんどの組織で、多様性の方が強いという研究成果が出ています。

例えば、様々な人種の方が共著した論文の方が影響力が出やすいという研究結果があったり(https://www.researchgate.net/publication/265791665_Collaboration_Strength_in_diversity)

多様な手法を使うビジネスは一つの戦略に特化するビジネスより競争に強いという結果があったり(https://link.springer.com/article/10.1057/s41270-019-00064-5)

まあ、いくらでも出てきます。

反論2: そもそもアファーマティブアクションは多様性に繋がるのか?

大臣の登用だったり企業の採用でのアファーマティブアクションは明らかに繋がりますが、例えば競技科学での女子大会などは多様性を推進してると言えるのでしょうか?少なくともその大会は極めて多様ではないです。しかし、これもしっかり学部選択の段階での多様性に貢献しています。女子の競技数学から入り、数学科に進学を決めた、という方も居ますし、その大会などで会った先輩がロールモデルになった、という方も居ます。

 

さいごに

ここまで読んでいただきありがとうございます。上では扱ってない利点や反論などもたくさんありますし、僕が考えた/聞いたこともない論点も沢山あるでしょう。でも、多分自分はこの多様性推進の利点を信じ続けるでしょう。なぜなら上では実務的な利点を強調しましたが、僕個人にとって一番大きな利点は多様な人たちと関わっていって色々な話を聞けたら超面白いじゃん!というめちゃくちゃ自己中な感情論に基づく物だからです。ではまた。